小学生の頃「ツタンカーメン王の謎」という本を読んでから、古代エジプトに魅せられるようになった。
実際にエジプトを訪れるのは、その後20年を要した。
エジプトに行って、実際に王家の谷に行ってその暑さを今でも覚えている。
現地で雇ったガイドに案内して貰ったが、王家の谷で、彼との距離は1㍍と離れていなかったが、彼の顔が陽炎に揺れていた。
確か、王家の谷に入るのにいくらか払った記憶があり、そのチケットで最大3つの王墓しか見学できないのであった。
私が行ったときは、運良くツタンカーメン王の王墓も公開中であった。
王墓は、保存も考えられているため、順番に公開し、運が悪いとツタンカーメン王の王墓が、閉鎖されていることもあるので要注意だ。
私がツタンカーメン王の王墓に入ったとき、(現地ガイドは入室が禁じられているため独りで入った)誰も居なく、私とツタンカーメン王の二人きりであった。
空調のモーター音の他は何も無く、私は暫し彼と二人きりで瞑想した。
そして、その時からの私の心にある疑問が湧いた。
何故、他の王墓は、荒らされているのに、ツタンカーメン王の王墓だけは、残ったのだろうか?
考古学者は、口を揃えて「王墓を掘っているときに既に墓泥棒に見られている」と言っているが、果たして本当だろうか?
もし、それなら少なくとも歴代ファラオを初め、古代エジブト帝国高官は、揃いも揃って馬鹿かお人好しとなる。
では何故? それを説く前に、時代背景をおさらいすると、古代エジプトは、生ける神たるファラオが、統治する広大な帝国であった。
しかし、経済を考えれば、小麦中心の小麦経済であった。
貨幣経済は、古代ローマの誕生まで待たなければならない。
すると、王家の谷は、ナイル川の西側に位置している。
これは、太陽の昇るナイル川の東側が生者の世界、太陽が沈む西側は死者の世界という宗教的概念から来ている。
つまり、西側には墓堀職人達の村があるだけで、一般人は立ち入らない世界である。
もし、王墓への盗掘が見つかれば、生きたまま生皮を剥がれるか、又裂きの刑(両手両足をそれぞれ牛に繋がれ、一斉に引っ張らせ身体を引き裂く)に処せられるのに、果たして盗掘を行うだろうか?
今だって、盗品を現金に換えるのが難しいのに、3000年前に盗品を食べきれない、持ち運べない量の小麦と引き替えることは、想像を絶する苦労だと思う。
では、持っていただけで死罪にあたる、王家の物を命をかけて欲しがる奴が居たであろうか?
居たとすれば、外国の王族であろう。
例えば、アッシリア、ヒッタイト、メソポタミア等の列強の王族が考えられる。
しかし、彼らが黄金マスクを手に入れたら、それを溶かして、ブレスレットや首飾りなどを作らせるであろうか?
私なら、強国エジプトのファラオのミイラが被っていた黄金マスクなら飾っておいて、家臣達に見せつけると思うが・・・
しかし、他国の王宮跡からこれらの調度品が出てきた事実は無い所をみると、国外へ持ち出した説も無いであろう。
ここで、もう一度考えると、小麦中心経済であるから、物の価値は、小麦の目方によって決まると言うことだ。
解りやすく考えると、江戸時代は貨幣経済の過渡期で、幕府自体は米中心経済であった。
ある人が算出したらしいが、江戸中期、日本人の人口は2000万人だったらしい。
というと日本全国で2000万石有ったと言うことである。
当時の税率は五公五民であったらしいから、生産者であるお百姓は、1000万人分の米を先ず手に入れる。
武士階級の人口比率は5%であったため、100万人になるが、この100万人で残りの1000万人分の米を手にする。
米を現金で買わねばならい非生産者である町人(職人や商人)の人口比率も5%であったらしいので、100万人である。
彼らの取り分を引いても、武士は800万人分の米を手にしている。
「俺は身分が高い武士だから、お前ら町人より米を食ってやる」と言うことは先ず無いので、純粋に800万石が宙に浮く。
これから、備蓄米に廻したりもしたであろうが、既に備蓄米として置かれていた古米もカビが生えるまで取っておくとは考えられない。
となると、どうなるか?
百姓にも身分が有り、庄屋、名主を筆頭にピラミッドが形成されている。
所謂、水呑百姓(小作人)は、米の取り分がほとんど無いのだ。
では、どうしていたか? それは、農閑期に御上が公共事業を行うので、その人足として雇い、その労働対価として米を支給したらしいのだ。
結果、日本人全員に米が渡ることになっていたらしい。
それに、上様が日光東照宮へ公式に参拝するときなどにも、人足として水呑百姓達が駆り出された。
では、クイズ!!!
上様が日光東照宮へ公式参拝の折、お供の数は?
答えは、13万人である。
上様は御一行は、日光街道を北上して、宇都宮城へ入り一泊するが、先触れが宇都宮城到着したとき、後方隊は未だ江戸城にいたらしい。
これ程の一大イベントも、当時としては公共事業の一環であったのだ。
これで、貧しい人たちにも米が行き渡るシステムだったのだ。
話は逸れたが、金持ちでも貧乏人でも、食べる量にさほどの変わりは無いとすると、黄金マスクを盗んだ者は一体誰?
私は数年前に、この答えが見えたのだ。
それの前に、古代エジブトのファラオについての考えねばならない。
実は、古代エジブトの王位継承の鍵を握るのは、王女であった。
つまり、血は女性によって引き継がれるということだ。
皇太子が、王位を継ぐ場合、王女(姉か妹だが、異母兄弟の可能性もある)と結婚せねばならなかった。
では、歴代ファラオの王墓を破壊してきた張本人は、答えは、次の王朝のファラオである。
例えば、ツタンカーメン王は、第18王朝であり、有名なラムセス2世は、第19王朝のファラオである。
第19王朝を開いたラムセス1世は、元々18王朝の将軍であったらしい。
宮廷において将軍とは、決して身分が高いわけで無い。
将軍からファラオになるには、第18王朝の王家の血を引く姫と結婚せねばならなかった。
言い換えれば、ラムセス1世は簒奪したのだ。
そうなると、ラムセス1世が一番困ることは、自分の使えていた亡きファラオが、この世に蘇ってきて、自分や家族、そして子孫達に災いをもたらすことだ。
エジプトの宗教観で、死んだ人をミイラとするのは、死後に神々の世界へ行き、又蘇るという輪廻転生感によるもので、蘇るときに生前の身体が必要だから、腐らせずに取っておくのだ。
となると、ラムセス1世が枕を高くして眠る為には、歴代のファラオ達に蘇ってこられないようにするのだ。
その為に、ミイラを破壊し、カノプス(ミイラの心臓、その他の臓器を入れる壺で、ミイラ一体に付き4個ある)を破壊するの必要があるのだ。
それに、幾ら古代エジブトでも、無尽蔵に金が取れるわけでも無いとなると、金はどこから来るか?
前王朝の王墓の副葬品だ。
それらを溶かして、自分の棺桶等やマスクを作らせるのだ。
自分の墓が暴かれないためには、自分の王朝が未来永劫続く必要がある。
私の説だと、全ての疑問が解決している。
何故この様なことを書くかというと、何にでも疑問を持つことが大切である。
日本の政府が言っていることを鵜呑みにせずに、疑問を持つことが必要だ。
例えば、年金支給年齢を上げるとか言って日本でもめていると聞いたが、何故国民は従うのか?
昔は60歳で支給だったが、それが65歳で、今度は70歳?
これが民間企業がやったら、詐欺で刑事告発されるであろう。
政府は何をやっても良いのか?
しかし、今何故年金?
その影で、消費税率10%をどさくさに紛れて成立させる作戦では?
疑問を持てば、こういったことも見えて来るであろう?
そうなれば、国民を幸せに出来ない政府などいらないという結論もある。
さっさと「太平奉還」して、新しい幕府に政権を委譲しろとかね。
大体、今の政府は、神代の時代から存在したわけで無く、たかだか100年ちょっとでは無いか?
江戸時代より短いのだ。
古代ローマの英雄、ジュリアス・シーザー曰く「どんな悪法も、それが成立した当時は、きちんと機能していた」だ。
例えば、年金にしても、年金が成立した当初は、きちんと機能し、それなりの社会理念もあったはずだが、今は誰が見ても破綻している。
破綻しているのに、国民に年金の掛け金を払わせるのは、詐欺以外の何物でも無い。
国民年金破綻、厚生年金も危ない。
優遇されているのは、議員年金と公務員の共済年金だけだ。
そもそも、国民年金を破綻させたのは、馬鹿な社保庁の奴らだったのだから、先ずは共済年金を取り崩して国民年金と統合するのが筋道であるにもかかわらず、一体何人の善良なお年寄りが、ゴミのように殺されていったのだろう?
それを思うと、海外に居ても憤りを覚える。
だからこそ言う!!! 疑問を抱け!!!