中学校に通っていたある日、黒板の字が見え辛くなった。近視の始まりだった。
当初視力は0.7位だった。小学生の頃は、1.5であった。母親と、新宿伊勢丹に眼鏡を作りに行ったことを覚えている。あの当時で三万円だか五万円だか掛かった。お年玉と比べても破格な値段だった。
それから、あれよあれよと、眼鏡を掛けたら最期、近視はどんどん進んでくようである。
高校生時代は0.05であった。ほとんど盲人と同じだ。眼鏡無しだと30㎝先がぼやけていた。目の検査の一番上が見えない。
高校2年の頃にコンタクトレンズを作った。ハードは痛いとのことで、ソフトレンズにした。以来25歳でone dayにするまで、毎日レンズを洗い煮沸していた。一日使い捨てなど、夢の世界であった。
大学時代(LAだった)こちらで、掛かっていた目医者は、有名な視力回復手術の権威であった。「後5年したら手術すると良いよ」と言われていた。 視力は30歳位まで不安定で変わりやすいとの子であった。
ある日、そのDr.Yのオフィスに行ったら、患者がベッドに寝ていて何かをしていたら、それが角膜を削る手術であった。歯の治療のような感じだったことを鮮明に覚えている。 そのことを友人に話したら、視力回復手術は、親知らずを抜くより簡単だといっていた。 でも、手で角膜を蜘蛛の巣状に削るらしい。 だからこそ、医者の技量によるのであった。
その後、ダイビングを始めた。 最初はレンズ付きマスクで潜っていたら、その内コンタクトを付けたまま通常のガラスのマスクで潜るようになった。 とにかく、目が疲れる、乾くのを覚えている。
そして、2006年、遂に意を決してレイシックの手術を受けた。 手術とは大げさで、まるでベルトコンベアで大量生産されている感じであった。 手術代は18万円ぐらいだったと思った。 生命保険の手術費用特約で、半分出た記憶がある。 その後、視力は驚くほど回復し、2.0も出てしまった。 今は1.5ぐらいである。 でも、あの手術の次の日、目が覚めると、壁の時計が見えた事が嬉しかった。
その後、インチキ目医者が、大変な事故を起こしたことは記憶に新しい。 でも、手術を受ける患者側にも問題があると思う。 自分の大切な目なのだから、もっとリサーチして、平均価格をだして、明らかに安すぎるのは何か有ると思わないといけない。 因みに私は、病院を決めるのに、5件は見学に行った。
しかし、ここ数年、視力が極端に落ちた気がしたら、なんと老眼である。
遠くを見るのには不自由がないのだが、家の中の生活スペースで困るのだ。 そもそも今ブログを書いているMacの画面を見るのが辛い。 年上の友人から「これ掛けてみなよ」と眼鏡を渡され、雑誌の字が綺麗に見えたときのショックは覚えている。
ヘリコプターのコクピットに座り、エンジンスタート時のチェックリストを読むのが辛かったのだ。 チェックリストとは、航空機のエンジンスタートから飛び上がるまでは、チェックリスト通りに一つずつ読みながらスイッチを押すのである。これは、手違いがないようにとの配慮である。慣れが一番怖い。 飛行機の免許を取って直ぐのこと、後で気が付いたのだが、私はチェックリストを1ページ飛ばしていたらしく、滑走路に入り、エンジン全開にした。 セスナ172という機種は、通常60ノット(約111㎞)になったときに操縦桿を引き離陸するのだが、その時、45ノット(約83㎞)でいきなり機体が浮き上がったのだ。
何が起きているのか分からなかった。 その時、沈着冷静に点検3セット、トリム、スロットル、フラップをチェックすると、フラップが最大に降りていたのだ。
しかし、45ノットでフラップを0に戻すと、機体が失速してします。 そこで訓練中に行ったゴーアラウンドと言う方法を思い出し、フラップを半分戻し、速度を60ノットまで上げた。
話が逸れてしまったが、それほど大事なチェックリスが読めなくなると困る。 ヘリコプターは、両手両足を使うために、基本的に眼鏡の取り外しは出来ない。
でも、友人のインストラクターが言うには、世界中からヘリの免許を取りに来る生徒の中で、40歳以上で眼鏡無しでチェックリストを見ている人は、大概レイシックをしているらしい。
最近、目の中に小さな円形の物を入れ、老眼を矯正する手術があるらしい。 まあ、経過も見てから受けようかと思っている。
当初視力は0.7位だった。小学生の頃は、1.5であった。母親と、新宿伊勢丹に眼鏡を作りに行ったことを覚えている。あの当時で三万円だか五万円だか掛かった。お年玉と比べても破格な値段だった。
それから、あれよあれよと、眼鏡を掛けたら最期、近視はどんどん進んでくようである。
高校生時代は0.05であった。ほとんど盲人と同じだ。眼鏡無しだと30㎝先がぼやけていた。目の検査の一番上が見えない。
高校2年の頃にコンタクトレンズを作った。ハードは痛いとのことで、ソフトレンズにした。以来25歳でone dayにするまで、毎日レンズを洗い煮沸していた。一日使い捨てなど、夢の世界であった。
大学時代(LAだった)こちらで、掛かっていた目医者は、有名な視力回復手術の権威であった。「後5年したら手術すると良いよ」と言われていた。 視力は30歳位まで不安定で変わりやすいとの子であった。
ある日、そのDr.Yのオフィスに行ったら、患者がベッドに寝ていて何かをしていたら、それが角膜を削る手術であった。歯の治療のような感じだったことを鮮明に覚えている。 そのことを友人に話したら、視力回復手術は、親知らずを抜くより簡単だといっていた。 でも、手で角膜を蜘蛛の巣状に削るらしい。 だからこそ、医者の技量によるのであった。
その後、ダイビングを始めた。 最初はレンズ付きマスクで潜っていたら、その内コンタクトを付けたまま通常のガラスのマスクで潜るようになった。 とにかく、目が疲れる、乾くのを覚えている。
そして、2006年、遂に意を決してレイシックの手術を受けた。 手術とは大げさで、まるでベルトコンベアで大量生産されている感じであった。 手術代は18万円ぐらいだったと思った。 生命保険の手術費用特約で、半分出た記憶がある。 その後、視力は驚くほど回復し、2.0も出てしまった。 今は1.5ぐらいである。 でも、あの手術の次の日、目が覚めると、壁の時計が見えた事が嬉しかった。
その後、インチキ目医者が、大変な事故を起こしたことは記憶に新しい。 でも、手術を受ける患者側にも問題があると思う。 自分の大切な目なのだから、もっとリサーチして、平均価格をだして、明らかに安すぎるのは何か有ると思わないといけない。 因みに私は、病院を決めるのに、5件は見学に行った。
しかし、ここ数年、視力が極端に落ちた気がしたら、なんと老眼である。
遠くを見るのには不自由がないのだが、家の中の生活スペースで困るのだ。 そもそも今ブログを書いているMacの画面を見るのが辛い。 年上の友人から「これ掛けてみなよ」と眼鏡を渡され、雑誌の字が綺麗に見えたときのショックは覚えている。
ヘリコプターのコクピットに座り、エンジンスタート時のチェックリストを読むのが辛かったのだ。 チェックリストとは、航空機のエンジンスタートから飛び上がるまでは、チェックリスト通りに一つずつ読みながらスイッチを押すのである。これは、手違いがないようにとの配慮である。慣れが一番怖い。 飛行機の免許を取って直ぐのこと、後で気が付いたのだが、私はチェックリストを1ページ飛ばしていたらしく、滑走路に入り、エンジン全開にした。 セスナ172という機種は、通常60ノット(約111㎞)になったときに操縦桿を引き離陸するのだが、その時、45ノット(約83㎞)でいきなり機体が浮き上がったのだ。
何が起きているのか分からなかった。 その時、沈着冷静に点検3セット、トリム、スロットル、フラップをチェックすると、フラップが最大に降りていたのだ。
しかし、45ノットでフラップを0に戻すと、機体が失速してします。 そこで訓練中に行ったゴーアラウンドと言う方法を思い出し、フラップを半分戻し、速度を60ノットまで上げた。
話が逸れてしまったが、それほど大事なチェックリスが読めなくなると困る。 ヘリコプターは、両手両足を使うために、基本的に眼鏡の取り外しは出来ない。
でも、友人のインストラクターが言うには、世界中からヘリの免許を取りに来る生徒の中で、40歳以上で眼鏡無しでチェックリストを見ている人は、大概レイシックをしているらしい。
最近、目の中に小さな円形の物を入れ、老眼を矯正する手術があるらしい。 まあ、経過も見てから受けようかと思っている。