熊本城は熊本市にある平山城で、別名、銀杏城(ぎんなんじょう)とも呼ばれています。豊臣秀吉の子飼いの家臣であった加藤清正は1607年に、それまであった中世城郭の千葉城、隈本城を取り込み、茶臼山丘陵一帯に熊本城を築城しました。二代にわたった熊本城主の加藤家が改易された後、豊前小倉城の城主だった細川忠利が肥後に入国し、徳川家康にも仕えて細川家は幕末まで残りました。明治に入り1877年の西南戦争で、天守と本丸御殿一帯が消失しました。1960年に鉄筋コンクリート造で大小天守が再建されたが、2016年の熊本地震で熊本城全域が被災しました。この熊本城は1955年に国の特別史跡に指定されています。

 最初の写真は坪井川に面した石垣上に直線で242mの長さをもつ長塀で、2021年に復旧しました。次はその近くに建つ清正公像です。次は奉行丸にある被災を免れた未申櫓です。次は数寄屋丸にある二階大広間です。次の2枚は見学通路から見た本丸御殿と大天守です。本丸御殿の昭君之間の壁には、狩野派の絵師によって中国前漢の元帝の時代の悲劇の美女「王昭君」の故事が描かれていました。次は加藤時代の石垣を細川時代に拡張した二様の石垣です。次は東竹の丸の櫓群の一部で、田子櫓、七間櫓、十四間櫓が見えています。次は闇り(くらがり)通路で、本丸御殿の床下にある石垣でできた地下通路です。次の3枚は大天守と小天守が並び立つ天守閣で、2021年に完全復旧しました。大天守は外観3重、内部は地上6階地下1階建てで、四面に千鳥破風と最上階の南北に唐破風が配されています。(2024年5/20撮影)