大垣城は岐阜県大垣市にある平城で、1535年に宮川安定が創建したといわれています。戦国時代の西美濃三人衆の一人である氏家直元が1563年に城郭を整備したが、1586年の天正地震によって全壊焼失しました。その後豊臣家の家臣・伊藤祐盛が1596年に望楼型3重4階の天守閣を築きました。1600年の関ケ原の戦いでは、大垣城は西軍・石田三成の本拠地となり、本戦部隊が関ケ原に移動した後も、城では壮絶な攻防戦が繰り広げられ、東軍が勝利したことで落城しました。1635年には戸田氏鉄が城主となり、明治に至るまで大垣藩戸田家の居城となり、その間に4重4階の複合式層塔型天守を築きました。しかし天守は1945年の大垣空襲ですべて焼失したが、1959年に外観復元天守として再建されました。
最初の写真は、1985年に新たに設置された東門で、七口之門の一つである柳口門をまねて築かれています。次は1985年に再建された艮(うしとら)隅櫓です。次は水之手門跡です。次は乾(いぬい)隅隅で、1967年に郡上八幡城を参考に復元されました。次は西門です。次は大垣藩初代藩主・戸田氏鉄騎馬像です。次は天守の西面です。次は本丸の南口にある鉄(くろがね)門跡です。次はその横に立つ金森吉次郎像です。金森吉次郎は1896年の大洪水時には、大垣輪中堤防委員長として指揮をとり、水没した大垣輪中内の4万の人命を救いました。次は天守の石垣に刻まれたその洪水の水位跡です。次の2枚は本丸とその北西隅に築かれた天守です。次は天守最上階からの関ケ原方向の眺望で、一番高い山は伊吹山です。(2026年5/30撮影)






















































































































