伊弉諾(いざなぎ)神宮は淡路島にある神社で、淡路国一宮であり、旧社格は官幣大社です。祭神は日本神話の国産み・神産みに登場する男神・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と女神・伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。古事記・日本書紀によれば、伊弉諾尊と伊弉冉尊が淡路島を始めとする国生み・神生みを果たし、天照大神(あまてらすおおみかみ)に国家統治を委ね、当地である淡路島の多賀の幽宮(かくりのみや)で余生を過ごしたとされ、これが伊弉諾神宮の起源です。幕末までは禁足地の神陵の手前に本殿があったが、明治初年の造営事業で神陵地を造成し、墳丘上に本殿が移築され、幣が付設されました。

 最初の写真は大鳥居で、花崗岩製の神明型鳥居としては全国最大級です。1995年の阪神・淡路大震災で倒壊したものの、その年の内に再建されました。次はさざれ石です。次は参道の脇にある放生の神池で、幽宮跡にあったとされる濠の遺構といわれています。次は茶室・明日庵です。次は1883年に再建された正門で、檜皮葺の四脚門です。次は貴賓殿及び参集殿です。次の2枚は1688年に改修された東・西神門で、徳島藩主・蜂須賀家が寄進したものです。次は夫婦大楠で、樹齢九百年の兵庫県指定天然記念物です。次は1882年に再建された拝殿で、銅板葺入母屋造です。次は1879年に建築された本殿・幣殿で、檜皮葺三間社流造です。本殿と幣殿が屋根で連結されています。次は本殿の左に建つ祓殿(はらいでん)です。次は本殿の右に建つ神輿庫(しんよこ)で、1808年藩主・蜂須賀治昭が造営寄進しました。(2026年5/05撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 MOA(エムオーエー)美術館は静岡県熱海市の高台にある私立美術館で、岡田 茂吉が1982年に開館しました。その前身は熱海美術館で、岡田 茂吉の収集品である国宝3件、重要文化財67件を含む3500件の東洋美術品を所蔵しています。岡田 茂吉は明治から昭和にかけての芸術家、実業家、思想家、宗教家で、自然農法の創始者、浄霊法の創始者、世界救世教の教祖であり、さまざまな分野で活動しました。1945年に箱根強羅と熱海の土地を購入し、同じ時期に美術品の蒐集を本格的に始め、1952年に箱根美術館、1957年に熱海美術館を開館しました。

 最初の写真は、MOA美術館のエントランスで、ここから本館まで、60mの高低差があり、7基のエスカレータで斜面の地下を上がっていきます。次は黄金の茶室で、1586年、豊臣秀吉が正親町天皇に茶を献じるために、京都御所内の小御所に組立式の黄金の茶室を運びこみ、黄金の道具を用いて茶会を行ったという史実に基づいて復元制作したものです。次は展示されていた野々村仁清の国宝・色絵藤花文茶壺です。他に有名な尾形光琳の国宝・紅白梅図屏風を所蔵しています。次は本館に隣接している「茶の庭」の入口にある唐門です。次は光琳屋敷で、尾形光琳が過ごした京都の屋敷を、光琳自筆の図面などの史料に基づいて1985年に復元したものです。次の3枚は、光琳屋敷の前にある露地風の庭園です。次の2枚は石造国東塔と石造十三重宝塔です。次は片桐門で、神奈川・大磯の三井家城山荘内にあった門を移築したものです。次は本館メインロビーから見た熱海の眺望で熱海城が見えます。(2026年4/21撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「百寺巡礼」の第155番は修禅寺です。修禅寺は伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院で、807年に空海が創建したと伝えられ、その後の470年間は真言宗に属しており、当初は桂谷山寺と呼ばれていました。鎌倉時代初期には修禅寺の名称となり、

源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の長子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家がここに幽閉されたことでも知られています。1250年頃に南宋から渡来した禅僧・蘭渓道隆が訪れたことに伴い臨済宗に改宗されました。その後、1409年の戦乱で伽藍が全焼し荒廃したものの、最初の戦国大名とされる北条早雲の寄進によって、叔父の隆渓繁紹を開山として迎え、曹洞宗の寺院として再興されました。また明治から現在に至るまで、多くの文豪や芸術家に愛された修善寺温泉は、正岡子規や夏目漱石、芥川龍之介などが訪れ、執筆しました。

 最初の2枚の写真は修禅寺の山門と鐘楼堂です。次は壇信徒会館です。次は弘法大師立像で、奥之院・正覚寺は、791年に18歳の空海が修行したところと伝えられています。次は1883年に再建された本堂で、本尊は金剛界大日如来坐像です。1210年に北条政子が源頼家の七回忌供養のために寄進したものです。次は本堂の東隣に建つ方丈です。方丈裏には大正天皇が皇太子時代に修禅寺を訪れた際に、「東海一の庭園である」と言われたと伝わる池泉回遊式庭園がありますが、秋の紅葉時のみの公開で、残念ながら今回は鑑賞できませんでした。次は修禅寺の南を流れる桂川に架かる虎渓橋です。次は独鈷(とっこ)の湯で、桂川河畔に湧く修善寺温泉発祥の湯です。次は同じ桂川河畔にある竹林です。(2026年4/22撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三嶋大社は、静岡県三島市にある旧官幣大社の神社で、創建の時期は不明であるものの、社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、古代から伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬されてきました。祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の2柱で、三嶋大神(みしまのおおかみ)と呼ばれています。平安時代の末、伊豆に流された源頼朝は三嶋大社で源氏再興を祈願し、これが成就したことから益々崇敬することとなりました。所有する国宝・梅蒔絵手箱は、頼朝の妻・北条政子が奉納したものと伝えられています。

 最初の写真は三島大通りに面して建つ大鳥居です。次は参道の両側にある神池で、1185年源頼朝が放生会を行いました。次は神池の中にある厳島神社で、北条政子が勧請したと伝えられます。次は神木の大楠です。次は1931年建立の総門です。次は社務所です。次は芸能殿で、旧総門です。次は腰掛け石で、源頼朝と北条政子が源氏再興を祈願した際、腰を掛けて休息したと伝わる石です。次は1868年に建立された神馬舎(しんめしゃ)です。次は1867年に建立された神門です。次は樹齢1200年と推定される金木犀で、国の天然記念物に指定されています。次は1867年建立の舞殿(ぶでん)です。次は1866年建立の社殿で、本殿・幣殿・拝殿が連なっています。社殿は現在修復中につき、これはパンフレットから借用しました。(2026年4/22撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 起雲閣は静岡県熱海市にある別荘で、1919年に実業家・政治家の内田信也が実母の静養のための別邸として建設しました。1925年には実業家・根津嘉一郎が内田から土地・建物を取得し、洋館を増築して根津別邸となり、岩崎別荘、住友別荘と並び「熱海の三大別荘」と呼ばれました。また1947年に金沢のホテル経営者・桜井兵五郎がこれを取得し「起雲閣」と名付け、旅館として開業しました。この宿は、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一などの文豪たちにも愛され、1958年には三島由紀夫が新婚旅行で宿泊しました。その後、2000年に熱海市が12億円で取得し、それ以降は熱海市所有の観光施設となっています。施設内には内田が建設した2つの和館と、根須が増築した日本・中国・欧州などの装飾や様式を融合させた3つの洋館があります。

 最初の写真は、起雲閣の表門で、薬医門の形式です。次は和館「麒麟・大鳳」で1階が麒麟、2階が大鳳です。次はその麒麟の床の間です。次は洋館「玉姫・玉渓」です。次は洋館・玉姫の正面中央にある暖炉で、欧風デザインを基本にし、中国風の彫刻や、唐草模様の彫刻で飾られています。次は洋館・玉渓で、ヨーロッパの山荘風の造りになっています。次は洋館・金剛で、螺鈿細工の模様が使用されています。次は金剛に併設されたローマ風浴室です。次は和館・孔雀で、座敷に床の間や付け書院があります。次の2枚は2階の大鳳から見た庭園の全景です。次の2枚は庭に降りて散策しながら見た美しい池泉の様子です。(2026年4/21撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「百寺巡礼」の第88番は金峯山寺(きんぷせんじ)です。金峯山寺は吉野にある金峯山修験本宗の総本山です。金峯山とは奈良県の吉野山から山上ヶ岳に至る山岳霊場を指し、白鳳年間に修験道を始めた役行者(えんのぎょうじゃ)が、この金峯山で修行し、山上ヶ岳の大峯山寺と吉野山の金峯山寺にお堂を建ててお祀りしたのが蔵王堂の始まりです。修験道とは、日本古来の山岳信仰に、神道や仏教・道教などが混合してできた日本独特の民族宗教です。吉野山は南北朝時代には南朝の中心地で、役行者が蔵王権現のお姿を桜の木に彫刻したことから、桜はご神木として保護され、吉野山は桜の名所となりました。この金峯山寺を含む吉野・大峯の霊場と和歌山県の高野山および熊野三山からなる「紀伊山地の霊場と参詣道」は、2004年に世界文化遺産に登録されました。 

 最初の写真は金峯山寺の南口です。次は蔵王堂の前にある四本桜で、1333年に護良親王が鎌倉幕府勢に攻められて、最期の酒宴をした場所に植えられています。次は本堂の国宝・蔵王堂で、入母屋造り檜皮葺き、高さ34m、幅・奥行ともに36mあり、現在の建物は1592年頃に再建されたものです。中に秘仏本尊・蔵王権現三体が安置されています。次は鐘楼です。次は1958年に建立された南朝妙法殿で、南朝の四帝と忠臣たちを祀っています。次は聖仏舎利宝殿です。次は蔵王堂の北側に位置する高さ20mの国宝・仁王門で、南北朝時代の再建とされています。現在は修復中につき、これは2009年に撮影したものです。次の2枚は仁王門の北にある銅鳥居と黒門です。(2026年4/06再撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 𠮷水(よしみず)神社は奈良県吉野山にある神社で、𠮷水神社の境内を含む吉野山が、国の史跡および名勝に指定されています。また𠮷水神社の書院が『紀伊山地の霊場と参詣道』を構成する資産の一部として2004年に世界遺産に登録されました。祭神は後醍醐天皇、楠木正成、吉水院宗信法印の3柱です。社伝によれば、白鳳年間に役行者によって建立された金峯山寺の僧坊・吉水院(よしみずいん)がその始まりと伝えられています。1185年には源頼朝に追われた源義経、武蔵坊弁慶や静御前などが5日間吉水院の潜居之間に身を潜めていました。また南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸した時、吉水院に行宮を設け、一時居所としました。1594年には豊臣秀吉が行った吉野の花見の際には、吉水院はその本陣とされました。その後、明治時代の神仏分離令により、1975年に金峯山寺の僧坊であった吉水院は、金峯山寺と分離され、𠮷水神社と改められました。

 最初の写真は中千本地区のメイン通りに面して建つ鳥居です。次は表門です。次は表門を入った境内から、吉野山の中千本と上千本の桜が見渡せる「𠮷水神社一目千本」の絶景です。次は池泉鑑賞式の吉水院庭園で、吉野の花見の際に秀吉自らが造ったものであるといわれ、国の名勝に指定されています。次は本殿で、元は吉水院護摩堂です。次の書院は日本最古のものとされています。次は書院内の源義経潜居之間です。次の2枚は同じく書院内にある後醍醐天皇の玉座の間です。次は書院前の庭です。次は北闕門(ほっけつもん)です。(2026年4/06撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 吉野水分(よしのみくまり)神社は吉野山上千本地区にある神社です。吉野山の最奥部の青根ヶ峰は、東へ流れる音無川、北へ流れる喜佐谷川、西へ流れる秋野川などの源流となる水分けの山で、その山腹に元・水分神社跡と伝わる場所があり、そこから806年頃に現在地へ遷座されました。祭神は水の分配を司る天水分大神(あめのみくまりのおおかみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と少名彦神(すくなひこなのみこと)です。豊臣秀吉が1594年、吉野の花見の際に、吉野水分神社を訪れて子授けを祈願し、嫡子・秀頼を授かったと伝わります。現在の社殿は秀頼によって1605年に再建され、桃山建築の華麗な様式を伝えています。この吉野水分神社の境内を含む吉野山は、国の史跡・名勝に指定されています。また『紀伊山地の霊場と参詣道』を構成する資産の一部として2004年に世界遺産に登録されました。

 最初の写真は大峯奥駈道に面して建つ鳥居です。次は入母屋造の楼門で、その両側に切妻造の回廊が接続しています。次は楼門を潜って左側にある長大な拝殿で、本殿に向かい合うように建っています。次は楼門の正面に建つ幣殿で、左側で拝殿の屋根と接続しています。次の2枚は拝殿に向かって建つ本殿で、前面に石垣が積まれた基壇上に建っています。中央に春日造、左右に流造の3殿を相の間で横に繋げ1棟とする構造となっています。基壇上には本殿を囲うように透塀があります。本殿の右殿には国宝・木造玉依姫命坐像が安置されています。次は本殿前に咲く桜です。(2026年4/06撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吉野山は、奈良県吉野町にある吉野川南岸から大峯連山の北の端まで8km続く尾根一帯を指し、古くから桜の名所として知られ、地域ごとに、下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれています。また大峯信仰登山の根拠地でもあり、修験道霊場とされてきました。歴史的にも、672年大海人皇子が壬申の乱の挙兵前に隠棲していた場所であり、1185年源義経・弁慶が頼朝の討伐を受け、身を隠した場所であり、1336年後醍醐天皇が京都から逃れてきて南朝を置いた場所であり、1594年豊臣秀吉が一行5千名で花見を行ったなど、数々の重要な拠点となってきました。1924年には、吉野山のエリアが、国の名勝・史跡に指定され、また1990年に日本さくら名所100選に選定されました。さらに2004年には吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界遺産に登録されました。

 最初の3枚の写真は近鉄吉野駅をスタートして七曲りの道から見た下千本の桜です。次の2枚は金峯山寺を過ぎて、土産物屋や食べ歩きの店が連なる吉野山の中心部分にある吉水神社の境内から見た吉水神社一目千本で、中千本から上千本までの圧巻の眺めです。ここは豊臣秀吉の吉野の花見の際にはその本陣となりました。次の2枚は吉水神社から少し上がった所にある五朗平茶屋近くの中千本からの眺めで、温泉谷を隔てた向かいには如意輪寺があります。次の2枚はその谷を登った先にある滝桜展望地の桜です。次の2枚は上千本展望台から見た上千本の満開のさくらです。次は上千本の最高地点である花矢倉展望台からの眺望で、はるか下に金峯山寺蔵王堂が見えます。(2026年4/06撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石上(いそのかみ)神宮は奈良県天理市にある旧官幣大社の神社で、日本書紀に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであることから日本最古の神宮のひとつとされます。主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)で、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を神体としています。社伝によれば、布都御魂剣は葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、天皇の元に渡り、その後、物部氏により宮中で祀られていたが、184年頃、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのがその始まりです。平安時代後期、第72代白河天皇はこの神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。

 最初の写真は、参道入口右側にある石上神宮外苑公園の見頃の桜です。次は参道の入口に建つ大鳥居です。次の3枚は参集殿と社務所と神饌所です。次は社務所の前に広がる鏡池で、この池には奈良県の天然記念物に指定されているワタカという魚が生息しています。次は1997年に改築された長生殿です。次は楼門で、1318年に建立されました。正面に掲げられた木額の「萬古猶新」は山縣有朋の筆によるものです。次は国宝・拝殿です。次は1932年に建立された回廊で、拝殿前の斎庭を取り囲んでいます。次は本殿で、1913年に神剣「韴霊」を奉安するために建立されました。また拝殿後方の瑞垣(みずがき)が取り囲む地を「禁足地」といい、最も神聖な霊域として畏敬されています。(2026年4/02撮影)