篠山城は丹波篠山市にある平山城で、日本百名城の一つであり、国の史跡に指定されています。1609年、徳川家康は徳川譜代の松平康重を篠山に封じ、西国諸大名のおさえとして、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に篠山城を築きました。これは天下普請として、浅野幸長・蜂須賀至鎮・加藤嘉明・福島正則ら豊臣恩顧の大名を始めとして、15か国、20の大名を動員し、総奉行は池田輝政、縄張りは築城の名手・藤堂高虎が手がけました。明治に入り、1873年の廃城令で篠山城も取り壊されたが、その際、二の丸御殿の大書院は残ったものの、1944年の失火で焼失しました。その後、2000年に大書院が復元されました。

 最初の写真は外堀で、外周は1辺40mのほぼ正方形です。次は東馬出(うまだし)跡で、東・北・南の門には馬出を設置して守りを固めていました。次は外堀に面した三の丸広場で、外堀沿いには桜が約1000本植えられています。次の2枚は内堀で、内堀内に本丸と二の丸が設けられています。次の2枚は中之門跡と鉄門跡です。次は二の丸御殿の中心的建物だった大書院です。この大書院は木造建築物としては規模が大きく、京都二条城の二の丸御殿にある遠侍(とおさぶらい)と呼ばれる建物に類似しています。次は二の丸御殿跡で、江戸時代の古絵図をもとにして2002年に平面表示しました。次は二の丸御殿庭園の井戸です。次は本丸内にある青山神社です。次は本丸の南東隅にあった天守台跡で、天守は建立されませんでした。次は南門である埋門跡です。(2024年4/05撮影)