旧藤田邸庭園はJR大阪城北詰駅前にある都市公園で、藤田財閥の総帥・藤田伝三郎が大川の左岸にあった日本郵船会社大阪支店長屋敷を1886年に買い取って移り住み、さらにその前年の淀川洪水で荒廃していた大長寺の敷地を1887年頃に取得し、1893年から1896年にかけて旧本邸を完成させました。大長寺は近松門左衛門の人形浄瑠璃・心中天網島の舞台です。さらに1910年から1916年にかけて、53,000㎡の敷地内に新本館、西邸、東邸を完成させ、梅園梅叟(ばいえんばいそう)が10年以上の年月をかけて豪華な日本庭園を作庭しました。1912年に伝三郎が死去すると、本邸は長男の平太郎が、東邸は次男の徳次郎が、西邸は三男の彦三郎が相続しました。その後、本邸は藤田美術館となり、東邸は料亭・結婚式会場の「太閤園」として開業し、西邸はレストラン・ブライダル施設の「ザ・ガーデンオリエンタル大阪」として営業しています。そして北西部の日本庭園は大阪市が入手して、2003年に「旧藤田邸庭園」として大阪市の名勝に指定されました。
最初の写真は1945年6/07の大阪大空襲で焼け残った表門です。次は藤田美術館にある多宝塔で、1916年に平太郎が高野山の光台院から檜皮葺の多宝塔を移築して銅板葺に改めたものです。次の2枚は藤田美術館に所属する茶室・光雪庵とその庭です。次は梅園梅叟による日本庭園跡です。次の3枚は四阿とその前に広がる池です。次の2枚は庭園内の今満開の桜です。次は大川対岸の造幣局の通り抜けの桜です。次は昨年新築された藤田美術館です。(2023年3/29撮影)











