来迎院は京都市東山区にある泉涌寺の別当・塔頭の一つで、本尊は阿弥陀如来です。寺伝によれば、空海が806年、唐で感得した荒神尊を安置したことが来迎院の始まりとされています。1218年、泉涌寺第4世・月翁智鏡が、藤原信房の帰依を受け堂宇を建立しました。応仁の乱の兵火により1468年に伽藍が消失したものの、前田利家らの尽力により再興しました。その後1701年に、泉涌寺長老・卓巖韶興が来迎院の住職を務めていたとき、浅野内匠頭による刃傷事件が起き、赤穂藩の家老・大石内蔵助は、親族であった卓巖和尚を頼り、来迎院の檀家となって寺請証文を受け、ここに茶室・含翠軒(がんすいけん)を建立しました。
最初の写真は泉涌寺の北側に位置する山門です。次の2枚は本堂とその前の紅葉で、本尊の阿弥陀如来、他に勝軍地蔵、幻夢観音像等が安置されています。次は泉涌寺三名水の一つである独鈷水で、空海が独鈷という仏具で掘り当てたという井戸です。次は祈願の御石で、境内に立つ弘法大師像の脇に祈願の御石が積まれています。次は荒神堂で、鎌倉時代作の「三宝大荒神坐像」が安置されています。次は庫裏です。次の2枚は茶室・含翠軒とその内部で、現在のものは1925年に当時の名匠・上坂浅次郎によって建て替えられたものです。軒下に内蔵助による「含翠」の扁額が見えます。次の4枚は含翠軒の庭園・含翠庭で、大正期に玄暁により現在の池泉回遊式庭園が作庭されました。心字池、円形の苔地があり、石塔、灯籠などが立てられています。
(2022年11/18撮影)












