明石城は明石市にある平山城で、1619年に初代明石藩主・小笠原忠真が外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍・秀忠から命じられ築城しまました。その後50年の間に明石城主は小笠原忠真から、戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家と続き、1682年に越前松平家が10代、189年間にわたって明石藩を治め、松平直致が最後の明石城主として1874年廃城令により廃城となりました。明石城は本丸を中心に、東側に二の丸、その東に東の丸が配され、南側に三の丸、西側には稲荷曲輪が設けられています。この明石城跡は2004年に国の史跡に指定されました。

  最初の2枚の写真は太鼓門跡とそこから見た中堀です。次は三ノ丸だった西芝生広場からみた明石城の全景です。次の2枚は剣豪・宮本武蔵が城の西側に作庭した城主の遊興所である樹木屋敷を再現した「武蔵の庭園」で、そのお茶屋と乙女池です。次は本丸の南東端にある巽櫓(たつみやぐら)で、船上城から移築されたと伝わっています。次の2枚は本丸の南西端にある城内で最大規模の坤櫓(ひつじさるやぐら)で、伏見城から移築されたといわれています。次は二ノ丸で、本丸の東側に位置している曲輪です。またその東に東ノ丸があります。次は本丸です。次は天守台で、天守は当初から築かれず、坤櫓が天守の代用となっていました。次は本丸の西側に位置する稲荷曲輪で、築城時は西ノ丸と呼ばれていました。次は本丸、二ノ丸、東ノ丸の背後を守る桜堀です。(2022年4/01撮影)