車折(くるまざき)神社は京都嵯峨野にあり、平安時代末期の儒学者・明経(みょうぎょう)博士の清原頼業(きよはらよりなり)を祭神として祀っています。清原頼業は天武天皇の皇子・舎人親王の子孫で、和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ、国の大器と称されました。その一族には、平安時代の三十六歌仙の一人、清原元輔やその娘で枕草子を書いた清少納言らがいます。頼業は1189年に逝去し、現在の社地に葬られ、法名に因んで「宝寿院」という寺が営まれました。その後、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の神号を賜り、正一位を贈られました。これ以後、車折神社と称することになりました。

  最初の写真は鳥居に小さな屋根が付いた神門です。次は本殿前の大鳥居です。次は1988年に建立された拝殿で、画家・山口玲熙による天井画が描かれています。次は1752年に造営された本殿で、入母屋造・銅板葺総檜造りです。次は本殿の裏にある八百万神社です。次は祈念神石で、願い事が成就した人が納めたものです。次は境内社の芸能神社で、天宇受売命を祀っており、芸能・芸術の分野で活動する人々に崇敬されています。次はこの芸能神社に奉納された朱塗りの玉垣で、たくさんの有名人の名が書かれています。次は清少納言社です。次は大国主神社です。毎年5月第3日曜日には、車折神社の例祭の延長神事として三船祭が行われ、嵐山の大堰川にて平安時代の船遊びが再現されます。(2021年11/24撮影)