萩城は山口県萩市にある日本海に面した標高143mの指月山(しづきやま)の麓にある平山城で、別名指月城とも呼ばれています。毛利輝元は1600年の関ヶ原の戦いで敗れ、安芸112万石から周防・長門の29万8千石に減封されたので、新たな居城として1608年に萩城を完成させました。本丸の御殿は250年余りの間、長州藩の拠点であったが、幕末の1863年に13代毛利敬親が藩庁を山口城に移しました。さらに1874年廃城令により萩城は破却されました。城跡は国の史跡に指定され、本丸は指月公園として整備されています。また萩城下町が良好な状態で残っており、「明治日本の産業革命遺産」の一部として、「城跡」「旧上級武家地」「旧町人地」が2015年世界遺産に登録されました。

  最初の写真は復元された三の丸北の総門で、萩城三の丸は毛利一門や家老などの屋敷がある「旧上級武家地」です。次は二の丸南門跡です。次は毛利輝元銅像です。次の2枚は城跡入口の橋とその先の本丸門跡です。次は内堀と天守台で、高さ14mの五層の天守は1874年に矢倉など含めて全て解体されました。次は本丸の後ろにそびえる指月山で、白い土塀には鉄砲狭間が設けられています。次の2枚は藩校明倫館から移設された万歳橋と歴代藩主を祀る志都岐山(しづきやま)神社です。次の2枚は神社の東側にある東園の旧跡です。次の茶室・花江茶亭は、毛利敬親が安政年間に藩主別邸・花江御殿に増築したものを当地に移築しました。次の2枚は本丸内に残る梨羽家茶室とその庭園です。(2021年10/02撮影)