重森三玲旧宅は吉田神社の第1鳥居の南にあり、吉田神社の神官の社家を1943年に作庭家・重森三玲が譲り受けたもので、2006年から重森三玲庭園美術館として公開されています。この社家は主屋と書院が江戸中期の建物で、近衛家の援助によって建立されたものと伝えられています。このうち、西側の旧宅主屋「招喜庵」は他社が管理し、東側の書院とその前庭、茶席がこの美術館に属しています。重森三玲は昭和を代表する庭園研究家・作庭家で、1936年から全国500か所の庭園を実測調査して「日本庭園史図鑑」を上梓し庭園史研究の礎を築くと共に、東福寺方丈庭園・光明院庭園、大徳寺瑞峯院庭園、松尾大社庭園など力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成された枯山水庭園を数多く作庭しました。

 最初の写真は重森三玲庭園美術館と招喜庵の表門です。次は東に向いた庭園入口です。次は入口から見た書院前庭の枯山水で、1970年に作庭されました。次は書院の中から障子で切り取って見た前庭で、中央に阿波の青石を用いて三尊石が組まれ、奥には、中央に蓬莱島、東西に方丈、壷梁(こりょう)、瀛州(えいしゅう)の三島が配置されています。次は書院の東庭です。次は前庭の手前中央にある平たい石で、神官が吉田神社を拝むための礼拝石といわれ、唯一三玲が譲り受ける前からあったものです。次は白砂で見立てた海に据えられた舟石で、蓬莱島から戻ってきた「戻り舟」を表現しています。次の2枚は1969年に建てられた茶室・好刻庵の外観と内部の様子です。

(2020年10/11撮影)