紅葉渓(もみじだに)庭園は正式には和歌山城西之丸庭園といい、紀州藩初代藩主・徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に築いた江戸時代初期の池泉回遊式庭園で、秋の紅葉が美しいことからそう呼ばれていますここは山上に天守閣の建つ虎伏山の渓地形を利用し、立石として紀州青石を使用して、御舟石のある「上の池」を掘り、柳島を配置することにより内堀を大きな池に見立てています。この庭園は明治維新後、長らく荒廃したものの、1973年に庭園を整備し、1985年に国の名勝に指定されました。

 最初の写真は庭園の南側にある茅門です。次は土橋から見た上の池で、奥の紅葉渓橋の下を滝が流れ、池の中央には大きな御舟石が見えます。次は上の池の南側斜面に組まれた見事な滝石組です。次は上の池を紅葉渓橋から見たもので、出島と御舟石と土橋が絶妙に配置されています。次の2枚は内堀に突出した釣殿風の鳶魚閣(えんぎょかく)で、内堀に面する窓は障子張の火打窓、室内は四畳半の畳敷です。次はその内堀に浮かべた柳島です。次は和歌山市出身の松下幸之助の寄付によって作られた数寄屋造りの茶室・紅松庵です。この場所は徳川家以前の城主である浅野家の時代に、数寄屋から書院へと続く書院式茶室があった所です。次の2枚は、西の丸と二の丸大奥と繋ぐ御橋廊下で、両岸の高低差のため斜めにかかる珍しい廊下橋です。滑らないように廊下の床板を鋸歯状に組んでおり、2006年に復元されました。(2019年10/27撮影)