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   丸岡城は福井県坂井市にある小高い丘陵に築かれた平山城で、一向宗の残党が城を襲った際に、天守閣の横にある井戸から大蛇が現れて城に霞をかけて城を救ったという伝説によって霞ヶ城とも呼ばれています。この丸岡城は、1576年織田信長の筆頭家老で越前一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城されました。天守は二層三階構造の現存12天守の一つで、最近、寛永年間(1624~44)に建造されたことが判明しました。1948年の福井大震災により天守閣が倒壊し、現在の丸岡城は、当時の建材等を使って1955年に再建されたものです。

  最初の2枚の写真は天守で、高さ12.6m、石垣の高さ6mという小ぶりな二層三階の初期望楼型独立式です。天守の屋根を覆っている瓦は、福井産の緑色凝灰岩「笏谷石」(しゃくだにいし)を加工したもので、一枚の重さが20〜50kgあり、天守にかかっている重さは、75〜120トンと推定されています。次は福井大震災で落下した笏谷石製の鯱です。次は天守3階の回廊付望楼からの西側の眺めで、日本海・三国の海岸まで見渡すことができます。次は丸岡城の登城口横にある「一筆啓上の碑」です。これは「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と書かれており、徳川家康の重臣であった本多作左衛門重次が長篠の合戦の陣中から妻に宛てて送った日本一短い手紙として知られています。次の3枚は丸岡城の周りにある日本庭園・霞ヶ城公園とそこから見上げた天守で、「日本さくら名所100選」にも選ばれています。(2019年5/11撮影)