




孤篷庵は大徳寺の塔頭で、芸術家として名高い小堀遠州が1612年に遠州の甥にあたる大徳寺184世・江雲宗龍を開祖として、同じ大徳寺の塔頭・龍光院内に建てた庵がその始まりです。後の1643年に現在地に移し孤篷庵の建物と庭園が造立されました。その後1793年の火災で消失したものの、1797年に遠州を崇拝していた大名茶人で松江藩主・松平不昧公によって、焼失前の古図に基づいて再興されました。篷とは茅などをこものように編んで舟の上を覆う苫のことで、孤篷とは孤舟を意味しています。
最初の写真は、方丈の北西部分に置かれた十二畳の茶室・忘筌席で、床には狩野探幽の水墨画が描かれています。次は忘筌席の露地で、西側の露地に面して広縁があり、中敷居を設け、上半分を明かり障子、下半分を吹き抜けとし、舟屋の入り口のような舟入板の間となっています。次は茶室の北西に張り出して建てられている書院・直入軒で、遠州が居室として使用していました。次は直入軒南庭の近江八景の庭で、遠州の故郷である近江の湖景になぞらえて造られています。次は直入軒の北隣の草庵造りの茶室・山雲床で、障子の向こうの露地庭に手水鉢と竿の下部にマリア様を刻んだ灯籠が見えます。ここ孤篷庵の庭園は国の史跡・名勝に指定されています。今回、秋の非公開寺院特別公開で訪問しましたが、撮影禁止につき、画像は受付で購入した絵葉書から拝借しました。(2015年9/29訪問)