








白河院は岡崎にあった藤原北家・良房の元別荘・白河別業で、藤原頼通の六男・師実の時、白河天皇に献上されたことに因んで白河院と名付けられました。白河天皇は堀河、鳥羽、崇徳天皇の3代・43年にわたり初めて院政を布き、この白河院の場所に1075年に法勝寺を建立しました。法勝寺は、平安時代後期の院政期に天皇・皇后によって岡崎の周辺に建立された六勝寺のひとつで、広大な境内を有し、五大堂、八角堂、常行堂、高さ80mの八角九重塔などの諸堂が立ち並んでいたものの室町時代に廃寺となりました。大正時代の1918年に呉服屋・下村忠兵衛がこの地を取得し、翌年には今に残る建物と庭園が作られました。その後1958年に私立学校教職員共済組合の宿泊施設・京都白河院となり、現在に至っています。
最初の写真は二条通りに面した唐破風の表門です。次は庭園入口です。次は近代日本を代表する建築家・武田五一によって建てられた大正時代の数寄屋造りの和館です。次の4枚は、その和館の前に広がる東山を借景とした池泉回遊式庭園で、7代目小川治兵衛によって作庭され、2003年に京都市の名勝に指定されました。南北に細長い園池が横たわり、中央の築山には、アカマツ、イロハモミジが植えられています。次は琵琶湖疏水から引かれた水が流れ落ちる滝石組で、南側の園池に注いでいます。池には鴨が2羽悠然と泳いでいました。次は新しく建てられた茶室・無心庵です。(2013年4/21撮影)