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   慈照院は相国寺門前町にある相国寺の格式の高い塔頭で、1405年頃、相国寺13世・在中中淹が創建しました。当初は大徳院と称したが、1490年、室町幕府第8代将軍・足利義政の没後、その菩提所となり、義政の法号に因んで、慈照院と改名されました。その後、江戸時代初期の慈照院第7世・昕叔顕啅(きんしゅくけんたく)は、桂離宮を造営した桂宮初代・智仁親王、2代・智忠親王と親交を深め、1629年に智仁親王が薨去した際に、慈照院は桂宮家の菩提所となり、智忠親王によって境内に桂宮家の学問所・現在の書院が建てられました。
  最初の2枚の写真は山門と門を入った参道横の枯山水の庭です。次の2枚は庫裏・大玄関とその前にある植栽です。次の3枚は客殿の東庭で、樹齢300年以上という陸舟の松が広がっています。陸舟の松は帆を張った船のように見えることでこの名がついており、金閣寺のものが有名です。この客殿は智仁親王妃・常照院殿の遺命により、1671年に尾張の総桧材で建てられました。次は客殿の南東端にある枯滝石組です。次の書院は草庵風書院造りの棲碧軒(せいへきけん)で、桂離宮の古書院と同じ様式です。次は棲碧軒とその西隣にある茶室・頤神室(いしんしつ)前の露地庭です。昕叔顕啅は千利休の孫・千宗旦と親交があり、この茶室は昕叔顕啅と宗旦との合作で、「宗旦好みの席」とも呼ばれています。今回、京の冬の旅の特別公開で訪問しました。(2013年3/09撮影)