




何有荘(かいうそう)は南禅寺境内にあった塔頭の跡地に造られた6千坪の池泉回遊式庭園です。徳川幕府と関係の深かった南禅寺は、明治になって維新政府ににらまれ、明治初期の廃仏毀釈も相まって南禅寺の境内は大幅に縮小され、多くの塔頭が民間に売りに出された結果、無鄰菴、対龍山荘、碧雲荘、真々庵などの別荘庭園群ができあがりました。いずれも7代目小川治兵衛・植治が作庭しています。何有荘は、1905年に大正時代の実業家・稲畑勝太郎の所有となり、建物および庭園を改修し和楽庵と名付けました。この和楽庵は京都の社交場として活用され、1953年に所有者が宝酒造の大宮庫吉に代わった時に「何か有る様で何も無い。何も無い様で何か有る」という禅の言葉から何有荘と命名されました。
最初は琵琶湖疏水から引き入れられた30mの落差のある瑞龍滝で、疏水を利用し豊富な滝水を落としています。次の3枚は紅葉と芝生や苔の緑の対比が見事な庭園で、1895年に作庭されました。次は明治天皇も使われた茶室・龍吟庵です。この庭園は不動産の再建を担う実業家・川井徳子が3年の歳月と2億円の費用をかけて再生して80億円で売りに出し、アメリカのIT企業・オラクル創業者兼CEOのラリー・エリソンが購入しました。この何有荘は2004年に100年振りに公開された後、1年だけで非公開となっており、これらの画像はテレビ映像から拝借しました。