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  廣誠院は、薩摩出身で、実業家や建築家として活躍した伊集院兼常が、1892年に押小路木屋町通りにあった旧長州藩邸跡に建てた別荘で、その後、1902年に元貴族院議員で実業家の廣瀬満正が所有し、1954年に廣瀬家によって臨済宗の単立寺院となりました。寺院の名称・廣誠院は廣瀬満正の院号に由来します。一方、伊集院兼常は1896年に南禅寺の近くに、別邸「對龍山荘」を構え、そこに移り住みました。
  最初の写真は広い庇を持つ数寄屋風の書院で、畳3畳敷きの床の間と床脇棚を設けています。この書院の庇を支える東側の柱の礎石が池の中に据えられています。書院の東側には、円窓のある3畳の茶室があり、庭園の流れの上を跨いで建っています。次の4枚は建築と庭園に造詣が深かった伊集院兼常の指示のもと、当時32歳の七代目小川治兵衛が庭作りの技術を習得しながら作庭したという近代数寄屋風の庭園です。高瀬川の水が北側の取水口から取り込まれ、茶室の真下を潜って書院の東側を流れて園池に注ぎ込み、池の中央に架けられた花崗岩の長い石橋の下を通って、庭園南側の池尻から高瀬川に戻っていきます。園池の東側の池際には変形雪見灯籠、池の西岸近くには屋根が苔で覆われた葛屋型石灯籠が置かれており、この庭園は京都市名勝に指定されています。今回、秋の非公開文化財特別公開で訪問しました。(2012年11/04撮影)