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  大原野神社は784年の長岡京遷都の際に、桓武天皇が皇后・藤原乙牟漏のために、藤原氏の氏神である奈良の春日大社の神霊を分祀したのが始まりで、平安京遷都後の850年に、左大臣・藤原冬嗣の孫に当たる文徳天皇が、冬嗣の願いを叶えるために社殿を造営して都の守護神としました。1005年には一条天皇の中宮・藤原彰子がここ大原野神社に参詣し、父である左大臣・藤原道長や中宮に女房として仕えた紫式部らがお供をしたと伝えられています。その後、応仁の乱で荒廃したものの、江戸初期の慶安年間に後水尾天皇の勅命によって社殿が再建され、明治になって宮内省指定の官弊中社となりました。
  最初の写真は、もうすぐ紅葉狩りの人々で賑わう三の鳥居です。次は春日大社と同様に、春日造の社殿が4棟並ぶ檜皮葺の丹塗りの壮麗な本殿で、大原山を背景にして建てられています。本殿のまえには珍しい狛犬代わりの雌雄一対の鹿の石像が据えられています。次の2枚は文徳天皇が奈良の猿沢池を模して作られた鯉沢池で、水蓮の花が美しく咲いていました。次は参道の左手にある名泉・瀬和井の井戸です。この井戸は清和天皇産湯の清水といわれ、和歌に詠まれた名水で大伴家持が愛飲したと伝えられています。また、この大原野神社には、沢山の人の目が集まっているように見えるので名が付いた千眼桜があります。(2012年10/03撮影)