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  修学院離宮は、1659年に後水尾上皇が左京区の比叡山麓に造営した54万屬旅大な山荘で、現在は京都御所、仙洞御所、桂離宮とともに宮内庁が管理しています。昭和初期、修学院離宮を訪れたドイツの建築家ブルーノ・タウトは「眼は見る」とその雄大さを讃えました。この修学院離宮は上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋の3か所の庭園からなっています。このうち中御茶屋は後水尾上皇の第8皇女・光子内親王のために1668年造営された朱宮御所がその前身で、その後、林丘寺に改められ、1885年に林丘寺の境内の約半分が修学院離宮の一部に組み入れられました。
  最初の写真は下離宮の御幸門です。次は下御茶屋の寿月観です。この寿月観は上皇、女院が御幸したときの御座所です。次の寿月観の前庭は池泉観賞式で、飛び石や庭に立つ袖石灯篭が有名です。次は中御茶屋にある書院造の客殿です。これは1677年に造営された東福門院の女院御所の奥対面所から移築されたものです。次はその一ノ間にある霞棚で、これは桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と呼ばれています。次の2枚は客殿の隣に建つ楽只(らくし)軒とその前庭です。次は1824年に再建された上御茶屋の隣雲亭とその下に広がる大刈込みです。次は大きな浴龍池を中心とした壮大な回遊式庭園で、この池には中島、万松塢、三保ヶ島の3島があります。次の2枚は島に架かる中国風の千歳橋と土橋です。また中島には創建当時のまま残る茶屋・窮邃亭が建っています。(2008年9/26撮影)