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  御香宮神社は、酒どころ伏見の氏神で、862年に日本名水百選に選ばれた御香水が湧き出したことから、清和天皇から御香宮の名を賜りました。応仁の乱で荒廃したものの、豊臣秀吉が伏見築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請して社領を与えました。 その後、徳川家康らが伏見城の建物を移築し、現在も豪壮華麗な桃山文化の名残を留めています。また1868年の伏見鳥羽の戦には官軍の屯所となりました。境内には今でも神社名の由来となった清泉があり、「石井の御香水」として伏見の七名水の一つです。
  最初の写真は表門で、1622年に水戸御三家の徳川頼房が伏見城の大手門を拝領して寄進したものです。次の拝殿は1625年に紀州御三家の徳川頼宣が寄進したもので、正面の軒唐破風には見事な彫刻が施されています。1997年に半解体修理が竣工し極彩色が復元されました。次の2枚は、これも修理により約390年ぶりに復元された本殿とその極彩色部分で、1605年に京都所司代・坂倉勝重が普請奉行として建立しました。次の2枚は小堀遠州が伏見奉行に命ぜられた時、奉行所内に作った庭園の石を戦後中根金作が移して作庭したもので、遠州の出世の糸口となった庭です。ここ御香宮神社の十月の神幸祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、「伏見祭」と呼ばれ今も洛南随一の大祭です。

(2008年8/10撮影)