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  圓徳院は高台寺の塔頭のひとつで、豊臣秀吉の正室・北政所ねねの終焉の地です。豊臣秀吉の没後、北政所は1588年に従一位に序せられ、1603年に後陽成天皇より「高台院」の号を賜わったのを機に高台寺建立を発願し、1605年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿を現在の圓徳院の地に移築して移り住みました。それ以来、多くの文化人が、北政所を慕って訪れたそうです。北政所は77歳で没するまで19年間この地で余生を送りました。この圓徳院は、北政所の没後1632年にその甥・木下利房によって、高台寺の三江紹益を開基として、木下家の菩提寺として創建されました。
  最初の写真は、長屋門を入ったところにある唐門です。次の2枚は徳村宗悦が作庭した方丈南庭で、ちょうどつつじがきれいに咲いていました。方丈の室中の襖には赤松燎画伯の「白龍」が描かれています。次は方丈から渡り廊下を進んだ先にある北書院です。次の4枚はこの北書院前に広がる北庭で、この庭も化粧御殿とともに移築したものです。この北庭は池泉回遊式の枯山水庭園で、桃山時代の代表的な庭園として国の名勝に指定されています。作庭は金地院庭園も手掛けた賢庭で、後に小堀遠州が手を加えたとされています。庭の東北部に枯滝石組を配し、その築山を中心にして自然石を使った厚みのある石橋を架けています。次は北庭脇にある茶室とその露地です。この圓徳院境内には、他に秀吉が信仰した三面大黒天や高台院ゆかりの品を展示している掌美術館があります。

(2008年4/29撮影)