








高桐院は大徳寺の塔頭のひとつで、利休七哲の茶人の一人といわれた細川忠興が、父藤孝の菩提を弔うために叔父の玉甫紹琮を開山として1601年に創建しました。この細川忠興の遺骨は遺言により、高桐院に埋葬されました。忠興の正室たまは明智光秀の娘で、洗礼名をガラシャといい敬虔なクリスチャンでした。
最初の写真は表門です。次は表門から唐門まで続く天然石を敷いた美しい参道です。次の2枚は江戸時代初期に造られた通称「楓の庭」と呼ばれる客殿南庭です。これは竹林を背景にして、もうすぐ緋毛氈をひきつめたような秋の散り紅葉が見られます。次は忠興とガラシャ夫人の墓塔で、これはもとは千利休秘蔵の石燈籠であったが、豊臣秀吉に所望されたために、利休はわざと笠の一部を削って疵物と称して断り、利休が切腹した後、形見として忠興に贈られたものです。次は客殿の北西部にある裏千家・円能斎好みの茶室・鳳来の前庭に置かれている袈裟型の手水鉢で、これは朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰り、忠興に贈られたものと伝えられています。次は、利休の邸宅を移築したと伝えられる書院・意北軒です。次はその意北軒の北西横にある二帖台目の茶室・松向軒です。これは1628年に細川忠興が建立したもので、黒壁が珍しい簡素な茶席です。訪問した日は年に一度の宝物曝涼展があり、南宋画家・李唐筆の国宝・山水図双幅などの貴重な宝物が拝観できました。(2007年10/14撮影)