「百寺巡礼」の第55番は方広寺です。1595年、豊臣秀吉によって奈良東大寺に倣った大仏殿が造営された方広寺は、京都市東山区にある天台宗山門派の寺院です。 当時の大仏殿は東西約55m、南北約90mの大きさで、中に安置された木製金漆塗の大仏は、東大寺の大仏より大きい18mの高さがありました。しかし翌1596年に地震により大仏が大破し、その後1612年に豊臣秀頼により再建されたものの、1798年に落雷による火災で焼失した後は、同様の規模のものは再建されませんでした。

  最初の写真は大日如来を祀る本堂で、1878年に再建されました。次は大黒天堂で、桓武天皇の勅命により最澄が延暦寺を建立するため、比叡登山中のお告げにより彫刻されたと伝えられる大黒尊天を祀っています。次の2枚は有名な鐘楼と梵鐘の銘文です。この鐘は1614年に京都三条釜座の名古屋三昌により鋳造されたもので、大きさは高さ4.2m、外形2.8m、重さは82.7トンあります。この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が家と康を分断し、豊臣を君主とするものだとして徳川家康の怒りにふれ、豊臣家滅亡のきっかけになったとされています。これは豊臣家を滅ぼす口実をつくるための単なる言いがかりであり、大坂の陣の直接の引き金となりました。この鐘は東大寺、知恩院の鐘と合わせ日本三大名鐘のひとつとされています。次の2枚は方広寺旧境内を区切っていた石積みと豊国神社参道沿いにある耳塚で、これらは「方広寺大仏殿跡及び石塁・石塔」として国の史跡に指定されています。(2021年10/05再撮影)