「百寺巡礼」の第51番は青蓮院です。最澄が比叡山に開いた坊のひとつである青蓮坊を始まりとする青蓮院は、粟田口三条坊町にある天台宗三門跡の一つで、粟田御所とも呼ばれています。1144年に天台座主の行玄が3条白河坊で門跡寺院としての初代門主となり、鳥羽法王の命により青蓮院となりました。この青蓮院は境内全域が国の史跡に指定されており、小御所、本堂、宸殿などが並んでいます。小ぶりの本堂には青蓮院の本尊である熾盛光(しじょうこう)如来の曼荼羅が安置されています。熾盛光如来とは、天台宗最大の秘法といわれ、国家鎮護、皇室の安泰などを祈る修法である熾盛光法の本尊ですが、普段は公開されていません。また国宝・不動明王ニ童子画像は「青不動」と呼ばれ、園城寺の黄不動、高野山明王院の赤不動とともに三不動と呼ばれています。
最初の写真は明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築した四脚門です。次の2枚は、京都市の天然記念物に登録されている門前の巨大な楠と医薬門です。次の2枚は、室町時代の相阿弥作と伝えられる龍心池を中心にした池庭で、洗心滝が配されています。また秀吉が寄進した一文字型手水鉢があります。次は本堂の北側に建つ入母屋造桟瓦葺きの小御所で、天皇の仮御所として使用された建物を1893年の焼失後に復興したものです。手前に見える石橋が跨龍橋です。次は門跡寺院特有の宸殿で、後水尾天皇女御・東福門院の御所を移転したものが1893年に焼失した後に復興したものです。(2007年3/04撮影)






