『教理問答』を改訂作業中です。その一部分をメモ。

問2-6 聖書の解釈にあたってどのような態度が必須であるか。

 神を愛し隣人を愛する目的をもって、聖霊の照明を求めて解釈することである。そうした敬虔な態度を欠くならば、いかなる知識も有害無益である。

 

箴言1・7 主を恐れることは知識の初め。

マタイ4・6-7「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」

 

<解説>

 イエスが第二のアダムとして荒野の四十日の試みに臨んだとき、悪魔は空腹を覚えたイエスに、「あなたが神の子なら石をパンに変えよ」と誘惑した。するとイエスは、旧約申命記のことばをもって悪魔を退けた。そこで悪魔は、詩篇91・11-12を引用して、神が天使を用いて助けてくれるとあるのだから、神殿の屋根から飛び降りてみよと誘惑した。するとイエスは、申命記のことば「あなたの神である主を試みてはならない」を引用して反論した。両者ともに聖書を引用したが、イエスは神を愛し畏れる心をもって解釈し、悪魔は神への愛と畏れを欠いて聖書を解釈した。正しい聖書解釈のために最重要な条件は、神を愛し畏れる心の態度である。

 

 

問2-7 聖書解釈における大事な3側面とはなにか?

答 状況的側面、規範的側面、実存的側面である。

 

問2-8 状況的側面をわきまえた聖書解釈とは何か?

答 第一は聖書の文脈をわきまえること、第二は執筆事情・文化的背景をわきまえることである。 聖書の文脈をわきまえるとは、①当該箇所の前後の文脈を、②その巻全体の文脈を、③同一記者の他の巻の類似箇所を参照し、④契約神学・組織神学によってその聖書箇所の位置づけを確認することである。

<解説>

 不明瞭な箇所は聖書の他の箇所で明瞭に語っていることから解釈することを「信仰の類比」による解釈という。聖書の大文脈の中である箇所が解釈できるのは、全ての聖書記者を用いた著者が聖霊であるからである。

 

問2-10 歴史・文化的背景をわきまえて、聖書を解釈する上で注意すべきことはなにか?

答 聖書の書かれた時代の周囲の文化との表面的類似性を見出したら、そこで満足せず、時代文化と聖書の教えの本質的相違を探究することである。神のメッセージは、そこに現れている。

<解説>

 聖霊は、真空の中にではなく、当時の歴史・文化という器に神のメッセージを載せて啓示なさった。だから、聖書には同時代の文化との表面的類似性と本質的相違がある。解釈上、特に後者に着目することが肝心である。旧約聖書時代の古代オリエントの神話や、新約聖書時代のヘレニズム文書やユダヤ教文書との類似性を見出すなら、表面的類似性に目を奪われず、本質的相違を注意深く読み取るならば、そこに神のメッセージが見出せる。

 

問2-11 聖書解釈における規範的側面とは何か?

答 諸々の状況をわきまえつつ、聖書記者の最初の読者に伝えたい意図を読み取った上で、聖霊が時代と文化を超えて私たちに伝えようとするた教理や倫理規範を読み取ることである。

<解説>

 例えば、創世記1章の記事を解釈するにあたっては、モーセがエジプトを脱出したばかりのイスラエルの民に対して、これを語った状況をわきまえれば、創造記事のメッセージは「エジプトで崇められていた物はすべて創造主の被造物である。人は神のかたちに造られ、被造物を治める務めがあるのだから、創造主こそ唯一礼拝すべきお方である」だということがわかる。

 

問2-12 聖書解釈における実存的側面とは何か?

答 聖書を読むにあたって、「自分自身がもしそこにいたならば、どのように感じただろうか?どう行動するだろうか?」と考えながら読み、知りえた神を賛美し、聴き取ったことが命令であれば従い、威嚇であればおののき、約束であれば堅く信じて、みことばに人生を賭けて生きることである。

<解説>

 聖書を客観的に読んで知識を得るだけでは、聖書を読んだことにはならない。神がこの聖書箇所から、この私に何を語っておられ、いかに生きよと命じておられるかと突き詰めて祈りつつ読むときにこそ、神の自分に対するメッセージを聴き取ることができる。