イザナミとアマテラス① | KIARAのブログ

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主に世界同時瞑想関連情報、時折気ままな話題を綴ります

今回は、日本神話のお話です。

 

神道の世界で最高神とされる太陽の女神アマテラスは

一般に、イザナギが黄泉の国から地上に戻ってきて禊を行った際に、

ツクヨミ・スサノオと共に「三貴子」の一柱として生まれたとされています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E

 

 

 

ですが、岐阜県東部にある恵那神社、血洗神社には

全く異なる話が伝わっています。

 

 

まず、恵那神社公式ホームページの

「由緒・由来」を見てみましょう。

 

 

(以下引用)

恵那の地名は伊邪那岐・伊邪那美の夫婦が峠を越されて美濃の地に入られた(神坂峠)時、

天照大神をお産みになった際の胞衣(えな)を山に納めたと伝えられ

胞衣山が恵那山になったと云われており、

産湯につかわれた湯が「湯舟沢」、胞衣を洗ったとされる「血洗の池」「血洗神社」、

出産を終え安らかな気分になり腰を掛けた岩「腰掛岩」、

安らかな気・安気が「阿木村」等、言い伝えにまつわる地名が数多く残っております。

(引用ここまで)

 

 

最初にご紹介したアマテラスの誕生は古事記による記載であり、

日本書紀においてアマテラスは、イザナギとイザナミによる神産みの中で誕生した、

つまり夫婦である二人の神の間に普通に生まれたという設定になっているのです。

 

 

血洗の池は、大雨による度重なる土砂流入により

今は跡となっていますが、そこに建てられた案内板では、

アマテラス出生の経緯について、ホツマツタエ等の記録を根拠としています。

 

 

また血洗池跡には、今上陛下の皇太子時代に、御成婚記念植樹がなされたとのことです。

http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1536.html?sp

 

血洗池跡や血洗神社には、神職の常駐はなさそうですが、

このような場所に、皇太子(当時)の御成婚記念植樹をするとは

どういう事なのか、気になるところです。

 

 

恵那神社には国産み神話の夫婦神であるイザナギ・イザナミが祀られ、

家内安全、安産、子宝祈願などがご利益とされています。

血洗神社の方は主祭神はアマテラスで、安産祈願の神社とされています。

 

 

恵那神社にイザナギ・イザナミが一緒に主祭神として祀られ、

アマテラス誕生のエピソードに関わる地名がいくつも残っているというのは

非常に興味深いものがあります。

 

胞衣というのはへその緒や胎児を包んでいた膜のことであり、

これを洗ったり納めたり、イザナミが出産を終えて腰掛けた岩などなど、

出産にまつわるあれこれが地名として残り、色々とリアルに感じられますね。

もしイザナギ・イザナミ・アマテラスが肉体を持つ生命体だったらと考えると

古事記の記述よりもこちらの方が、実際にありそうに思えてきます。

 

 

 

また、一般に語られている日本神話では、

イザナミは、イザナギと夫婦になり、

国産み・神産みにおいて日本列島や神々を産んだ女神ですが、

火の神を産んだため火傷を負って亡くなったとされています。

 

自分に会いに黄泉の国までやってきたイザナギに

痛ましい姿となった自分を見られたために大いに怒り、

逃げるイザナギを追いかけたところ、

地上との間にある黄泉比良坂(よもつひらさか)でイザナギが大岩で道を塞ぎ、

行く手を阻まれてしまいます。

 

そしてイザナギに

「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は一日に1000の人間を殺すでしょう」と叫び、

それに対してイザナギは

「愛しい人よ、それなら私は産屋を立てて一日に1500の子どもを産ませよう」

と返したといいます。

そしてイザナギとイザナミは離縁し、イザナミは黄泉の主宰神となったとされています。

 

・・・と、ここまでは、Wikipediaで語られている

イザナギとイザナミの、黄泉の国での場面です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%83%9F

 

 

ですが、これも古事記に基づいた記述です。

日本書紀のほうでは、かなり様子が異なってきます。

 

日本書紀は「本文」と「異説」から成り、

異説の方には、黄泉の国におけるイザナミの様子について

古事記とよく似た表現が使われているけれども、

「本文」の方では、イザナミは命を落とさず、黄泉の国もないというのです。

 

https://www.tsuyama-ct.ac.jp/ippan/H27_hokoku/ehara1.pdf

 

一般的な日本神話の世界では、古事記によるイザナミの描き方

つまり黄泉の国を司る呪いの女神とする説を採用していますが、

日本書紀の本文に限れば、

イザナミは亡くなってもいないし、呪ってもいないということになります。

 

アマテラスはイザナギ・イザナミを両親として普通に生まれ、

イザナギとイザナミは夫婦であり続け、呪いも存在しなくなります。

 

 

 

アマテラスの誕生にしても、イザナミと黄泉の国にしても

なぜ古事記の説が世に広く採用されているのか分かりませんが、

少し見る角度を変えてみると、こんなにも違うものですね。

 

これらの情報のあり方が、もしも女神や女性性の抑圧、また

男性性エネルギーと女性性エネルギー分断の一環であるならば

ぜひとも解放されて欲しいものだと感じました。