■コロナいじめから子供達を守るために
まずは、もちろん被害者保護です。いじめ被害者は、しばしば大人には何も言いません。親に心配かけたくないとか、大人に話しても何も解決しないと思って黙っていることもあります。
親には心配かけても良いと伝えましょう。お母さんが看護師だから自分がいじめられているなど、お母さんに話せないと思っている優しい子もいるでしょう。でも、子供が一人で苦しんでいる方がもっと辛いから話して欲しいと伝えましょう。
いじめ問題は簡単には解決できないでしょう。コロナ騒ぎも、いつ終わるのかわかりません。しかし、頼りない大人では、子供は話してくれません。「絶対に君を守る」という姿勢を伝えましょう。
一番良いのは、いじめの防止です。学校全体、社会全体で、コロナいじめは絶対に許さないという雰囲気を伝えましょう。
社会的距離を取ることや、消毒することは正しくても、バイキン扱いや「あっち行け!」と怒鳴ることは間違っていると教えましょう。大人自身が、手本を示しましょう。家庭の中での、感染に関する詮索、感染者を忌み嫌うような言動は、子供のコロナいじめを助長します。
親も先生も、コロナ感染者への思いやりや、医療従事者、エッセンシャルワーカーに対する感謝の思いを示しましょう。何もしなければ、コロナによるいじめや人権侵害は起きてしまいます。だから、積極的に模範的な言動をとりましょう。
人権問題としては、いじめは加害者が100パーセント悪いです。しかし、教育問題としては、いじめっ子もまた、誰かの援助を必要としている子です。いじめ被害者が傷つくのは言うまでもありませんが、ただ見ていただけの傍観者でも、傷つく子がいます。いじめに関わる全ての子を、いじめから守らなければなりません。
いじめ被害者を、ただの弱虫と見てはいけません。むしろ、いじめに耐えてきた勇気あるサバイバー、勇者として認めましょう。いじめられた可哀想な子と見すぎてしまうと、さらに自信を失ってしまうからです。うっかりすると、大人は事実の解明や、いじめっ子を罰する方向にばかりいってしまいますが、最も大切なのは被害者保護ということを忘れてはいけません。
また、いじめは悪い事ですが、コロナいじめの加害者を、ただの悪い子として見るだけでは、問題は解決しないでしょう。いじめっ子は、もしかしたら、感染への不安が高かったのかもしれません。あるいは、相手の感染予防のルール違反を指摘しようとしたのかもしれません。
もちろん、悪気がないなら良いわけではありません。いじめ行為には、毅然とした態度が必要です。ただそれでも、頭ごなしに否定するだけでは理解も反省もしないでしょう。大人社会でも、自粛警察と呼ばれる人たちは自分たちを正義と感じているでしょう。ただ否定するだけでは、社会に断絶が生まれかねません。事が起きてから人権侵害と指摘するのは簡単ですが、当事者は適切な感染予防活動と思っているケースもあるでしょう。
いじめ加害者には、チャンスを逃さず、個別に、話し合う必要があります。相手の話を聞きながら、矛盾をつきましょう。そうして、自分の行為がいじめであり、間違っていたことを理解させなければいけません。
その上で、いじめっ子が自暴自棄にならないようにしましょう。本当は良い子なのに、それなのにとても悪いことをしてしまった。だから、きちんと反省し謝罪して、行動を改めようと導く必要があるでしょう。
■コロナいじめと希望
新型コロナは、強大な敵です。大人たちも翻弄され、感染者への偏見や差別による人権侵害が起きています。こんな時こそ、希望が必要ではないでしょうか。
いじめ被害者にも、いじめ加害者にも、いじめ傍観者にも、希望が必要です。そのクラスにも、学校にも、希望が必要です。
突然の休校、学校行事も部活の大会も中止延期。子供達も苦しんできました。でも、ある高校生は言っていました。正式な大会は中止になったけれども、地域で代わりの大会を開催してくれた。努力は無駄にならないんだと学びましたと。
大人から見れば小さなことで子供は傷つき、小さなことで希望を持ちます。それは、苦しみの中の大人も同じかもしれません。今は苦しくても、希望があれば、人は我慢ができるし、経済も上向きます。いじめっ子も、いじめられっ子も、希望を失ってしまうことが最悪の事態を生むでしょう。
コロナ騒動は、体の健康や命の問題だけではなく、多くの人権問題を引き起こしています。しかしそれは、誤解を恐れずに言えば、コロナ騒動は人権を考える絶好の教材なのかもしれません。そして、希望は悲しみと苦しみの中から生まれます。
SKE48の福士奈央さんは、新型コロナに感染しました。自分が仕事を休むだけでなく、グループの仕事も中止になったものもありました。けれども、病気が治り仕事に復帰すると、たくさんのスタッフ、メンバーが「おかえり」と温かく迎えてくれたそうです。コロナ感染を通して、自分はみんなに支えられていると感じられたと、福士さんは語っています(日本テレビ「new szero」1月26日)。
コロナ禍で、悲劇も生まれれば、希望も生まれます。新型コロナは大変だったけれども、私たちは思いやりと希望を失わなかったと、次の世代の子供たちにも伝えていきたいと思います。
<筆者>
碓井 真史:新潟青陵大学大学院教授(社会心理学)/スクールカウンセラー
(転載ここまで)
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この記事の中で最も印象に残ったのは
いじめ被害者を、サバイバー、勇者として認めようという部分でした。
いじめのターゲットにされる子は、自信を失っておどおどしている場合が多く、
それがいじめる側の黒い心理をさらに刺激してしまう印象があるからです。
いじめられても、それで不登校になっても、可哀想な問題児ではなくむしろ勇者。
そう見ることで、本人はもちろん、社会全体の意識も変わりそうな気がします。
逆にいじめる側の首謀者は、もちろん例外はありますが
良くいえばリーダーシップがあり、学業成績も高くて、
学校の入学式や卒業式、あと後に成人式などの晴れ舞台では
代表者としてステージに上がる子たちが多かった気がします。
いじめっ子がこれらのセレモニーでステージに上がるのは
必ずしも晴れがましいことではなく、自分の悪事をそれらの場で晒しており、
人として実に恥ずかしい場面であることを自覚した方が良いでしょうね。
彼らの多くが持つリーダーシップやコミュニケーション能力は
本来素晴らしい才能なのですから、正しい使い方をして欲しいものです。
それに対して、これら学業成績優秀ないじめ加害者たちを
様々な場面で代表者に抜擢する、教師たちの感覚は理解に苦しみます。
いじめ首謀者達の多くはコミュニケーション能力に長けており
小さな子供のうちから巧みに大人を騙すので、ころっと騙されているのでしょうか。
小中学校時代の同級生で後に学校教師になった人達を思い出してみると、
「浮かない程度に」成績も性格も良い人が多かったような気がします。
(残りの少数は、自身がいじめの首謀者だったタイプです。)
いじめの現場では、「自分にいじめの矛先が向くのを恐れて、傍観者」
というポジションにいた人達と思われるので、
学校の隠蔽体質や個人的な保身については
「自分より強い立場の人に逆らえない」「保身が普通」という感覚かもしれませんが、
いじめの加害者達を積極的に代表に取り立てる心理は、どうにも分かりませんね。
あとこの記事では、被害者・加害者共にどのように接するのがよいか
さらには、いじめの防止方法にも言及していて、役に立つ内容かと思います。
昨年からは新型コロナという要素も相まって、
現場はさらに難しいものになっていると考えられます。
今回の記事のような情報を参考にしながら、
より調和的な人間社会に近づき、「コロナ後」の世界を目指しませんか。