スピリチュアリティ | KIARAのブログ

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主に世界同時瞑想関連情報、時折気ままな話題を綴ります

今回は石を離れて個人的なお話になりますが、

このところ、喉チャクラの大浄化が起こっています。

 

マトリックス的には、マイコプラズマ感染症ともいいます。

生まれて初めて、マイコちゃんと一緒のクリスマスを過ごしてしまいました(笑)

 

咳系統の症状があまりにも激しくしつこいので、

これ浄化されたらコミュニケーション方面ですごくいい解放が起こりそうだな~と

勝手にスピリチュアル的なおめでたい解釈をしていたら

ある事を思いつきました。

 

 

咳を1回すると2kcal消費するといわれるので

1回分の消費カロリーは小さいですが、

激しく咳き込んだり咳が続いたりするとなかなか体力を消耗するといわれています。

 

1時間あたり5回咳をしたと仮定して、それが1週間続いたとすると

咳だけで、1680kcal消費する計算になります。

 

これは、平均的な体格の人が仮に糖尿病にかかった場合、

1日あたりこれくらいなら摂取しても良いよ~と言われることの多い

食事や飲み物などの合計カロリーに相当します。

また、食事制限ダイエットをしたいという人に対して

一般的にまあ妥当な線といわれる1日摂取カロリーでもあります。

 

ちなみに、1時間に10回の咳が1週間続くと、3360kcal消耗します。

健康な成人の1日あたり摂取カロリーをはるかに上回っています。

アスリート並みかも?

http://zatugakunoeki.com/health/514/

 

 

そこで何を思ったかというと、

・・・そういえばここ数年間で、咳のように

一つあたりは小さいけれど、積もり積もって大きくなってしまった

ストレスがあるな~・・・と。

 

その結果。

 

ストレッサー(ストレスの原因)のうち、大きなものを1つクリアできました♪

 

それで喜んでいたら、シンクロを感じる記事と出会い・・・


 

この記事を読んで、ひとつのことを実行することに決めました。

 

私はこれから、精神世界や霊性などに関する情報や話題のことを

スピリチュアルではなく、スピリチュアリティ』と呼びます。

 

スピリチュアルという言葉も使うつもりではいますが、使い方を限定します。

『スピリチュアル』という言葉の使用は、形容動詞としての利用のみにします。

 

なぜかというと、スピリチュアルという言葉を名詞として用いるのは

文法的に誤りだからです。

 

英語のspiritual(スピリチュアル)というのは、文法的に形容詞です。

日本語でスピリチュアルという場合、これは形容動詞です。

形容詞と似ていて、「~な」「~だ」という使い方をする言葉ですね。

いずれにしても、名詞ではありません。

 

にもかかわらず、日本国内ではスピリチュアルという言葉が

形容動詞のほか、名詞として堂々とまかり通っています。

わざわざスピリチュアリティなんて書いている人はまず見かけません。

(Wikipedeliaはスピリチュアリティという表現がメインとなっています)

 

そのため、スピリチュアルという言葉が名詞として使われているのを見るたびに

毎回「何故形容詞・形容動詞を名詞として使っているの?」と

違和感を覚えて、イラッとかモヤッとなり続けてきたわけです。

 

例えば英語のspiritualという言葉を仮に「精神世界の」と和訳したとします。

その場合「あなたは、精神世界に興味がありますか?」という表現は自然ですが

「あなたは、『精神世界の』に興味がありますか?」という表現は

日本語としておかしいと感じませんか?

 

でも現実は、どっちを向いても

「『精神世界の』って、奥が深いですね」とか

「『精神世界の』とは、このような考え方のことです」

という表現で溢れかえっていて、正しい日本語表現されているケースがない><

・・・という具合に、私の脳は認識してしまうのです。

そしてハートは「皆がこういう言い方をしているのだから・・・」と無理な我慢をしてきました。

だからこの無理な我慢を、ひとつやめます。

他の方がどう表現なさるかは、もちろん人それぞれの自由ですから

「スピリチュアリティって言わなきゃダメ」とは申しません。

 

ただ今回、一つの参考情報を提示したつもりなので

「その表現、いいかも」と思った方は、使ってみてください。

 

 

ここまで読んで、「何て理屈っぽいんだろう」とか「細かすぎるな~」と

感じた方もいらっしゃるかもしれません。

実際その通りかもしれません。

でも、他のジャンルに関しては大雑把な部分やいい加減なところも結構あるし

この細かくて理屈っぽい性質が、長所として活きる場面も過去には実際ありました。

ですから自分のこの性質を、コインの裏表として、認めてみようと思います。

 

そしてこの特性が、再び長所として輝く時が来るといいな~と考えています。

 

皆さんもそれぞれの個性が、美しく花開きますように!