1983年 富士フレッシュマンレース第3戦 | 目指せ!サブ4! 還暦OYJの挑戦は続く

1983年 富士フレッシュマンレース第3戦

時は1983年5月22日、快晴の富士スピードウェイである

当時私は大学に通いながらアルバイトをして、身分不相応な

自動車レースに参戦していた(当時22歳)

当然だが大きなスポンサーもつくはずも無く、春休み、夏休み

冬休みを利用して貯めたお金でレースをしていたわけだが、

大学の卒業も控え、自己資金も底をつき(というか借金生活)

大好きな自動車レースもこれで最後にすると決めていた、

自分にとっての最終戦である。


ジュース代や散髪代まで節約し、レースカーのガソリン代を

捻出していたような状況なので、練習もままならない

自転車操業的な参加だったので、思うような結果も今までは

残せていない

最後ぐらいは思い切り悔いの無いように走りたいと思い、

レース前の5月8日にも富士スピードウェイに練習に

来ていた。

そして本番の前日の21日にも練習走行を行った

この時点では同じクラスの車(スターレットKP61)が

どれくらいのタイムを出しているのか分からなかったが、

TRDのKさんが私のピットに来てタイムを言うと、

「今日のメンバーではベストタイムだぞ」と言ってくれた


ピットでは当時付き合っていた彼女(今のカミサン)

がストップウォッチを使ってタイムを計測してくれていた


おやじランナー

これは今でもとってあるその時のタイムを書いたメモだ

16周目にはこの日のベストタイムとなる

1′55″96が出ていた


スターレットKP61はご存知の方もいると思うが

箱型のハッチバックの車である

お世辞にも空気抵抗がいいとは言えない

富士のような直線の長いコースでは、当然ながら

前車の真後ろに着き空気抵抗を減らす走り方の

スリップストリーム走法が必要になってくる


単独走行でタイムを0.5秒縮めるのは、それこそ

1コーナーから最終コーナーまでベストの走りを

繋げ、コーナーの突込みでは今までより奥まで

突っ込みスムーズに立ち上がらなくてはならない

それがなかなか出来ないわけだが、このスリップ

ストリームを上手く使うと、ポンっと1秒ぐらい

タイムが上がってしまう


21日の練習走行をいい感じで終え、初めてサーキット

の側の民宿に泊まった

今まではお金も無かったので、当日の朝積載車で

レースカーを横浜から運びサーキット入りしていた

ので、何だか少しプロのドライバーになった気分だった


22日の朝を迎えた

いよいよ予選である

予選ではスリップストリームを上手く使えばいいタイムが

出せるので、ピットで待機しながら速い人のすぐ後に出て行く

ようにして、何とか着いていってスリップを使う作戦だった

しかし相手はみんなライバル

そう簡単にスリップは使わせてくれない

レースで車が後ろに着くと進路を変えてスリップを

使わせないようにする場面も見たことがある人も

多いと思う


おやじランナー
ゼッケンは   2

車名 RSハラダ配送サービスKP61

ドライバー  おやじランナー


結果は 1′55″92


予選に参加した車両の中で唯一56″を切って

見事に初のポールポジションだ!



おやじランナー

午後からの決勝はポールポジションからスタート

することになった


嬉しいことは嬉しいのだが、今まで経験がないので

どちらかと言うと焦った

時間になり車両保管場所からコースへ車を押して

向かった

ポールポジションの所には、私のゼッケンナンバー

2がチョークで書かれていた

当然だが私の前には先導するオフィシャル

の車しかいない


いよいよフォーメーションラップのスタートだ

車を左右に振り(ウェービング)、タイヤを

出来るだけ暖める

コーナーの手前では強くブレーキを踏み

ブレーキーローターの温度も上げておく


ゆっくり最終コーナーを立ち上がり、自分の

スタート場所に車をつける

一旦エンジンを切りスタートを待つが、

まわりは静寂に包まれる

正に

「嵐の前の静けさ


ヘルメットの中では心拍数が上がっているのが

分かり、 「ドックン、ドックン」と自分の鼓動だけが

聞こえる

スタート1分前になりエンジン再始動

アクセルを2~3回あおると、自分の気持ちも

どんどんと高ぶっていく

周りは爆音に包まれる


シグナルがグリーンに変わりいよいよレースが

スタートだ


(長くなるのでレース本番の模様はまた次回)