合格体験記(2017 国立5) | 「都立受験」のプロフェッショナル(学志舎)

☆合格体験記(2017 国立:菊池くん)

 

僕は4年前、国立高校に憧れを抱きました。憧れたのは4年前ですが、行動にうつしたのは中学2年生の秋からです。始める時期としては早かったと思います。なので、最初のうちは周りの塾生がまだ受験勉強を始めていないので、必然的に良い結果は得られます。最初のW模試で、偏差値73をとることができました。当時は喜んだ僕ですが、後に転落を始めます。夏休みになり、僕は最初の難所に遭遇したのです。全てにおいて結果が下がりました。過去問の点数はさえないものばかりで、自分のしていることが信じられなくなってしまいました。中でも僕が課題だと思っていたのが、国語と英語でした。英語では、ある程度の点数であればとることができました。しかし、僕は英語に一番力を注いできたという思いがあったので、それでも点数がある程度しかとれないことを悔しく思っていました。国語については単純に点数がとれませんでした。僕は完全に勉強をなめていました。英語に一番力を注いだといっても、夏休みなんて受験勉強を始めてから少ししか経っていません。その時期に自分の思い通りに事が運んでいたら、その方が僕は危険だと思います。そして迎えた8月のW模試では、当然良い結果は望めませんでした。偏差値は70まで下がってしまい、僕は非常に落ちこみました。しかし、僕は国立高校に合格するためには必要なものだったと思っています。主に理由は2つあります。1つ目は自分の成績が下がる経験ができたからです。それからも僕は何度も転落をしましたが、夏休みのおかげで対処法を学ぶことができました。2つ目は「失敗」をしたからです。受験勉強の中で僕は「失敗」のないところに成長はないと実感しました。それほど大切な失敗の経験を積むことができたのは、自分にとって有益だったと思います。

 

 

夏休みの経験もあり、それからしばらくは順調でした。しかし、順調だった僕に次の試練が訪れます。塾長に採点していただく中で、僕は字の汚さを指摘していただきました。今思うと本当にありがたい指摘だったのですが、当時は「字の雑さで勉強が無駄になる」という塾長の言葉にうちひしがれ、極度の自暴自棄に陥ってしまいました。それでも受験勉強の中で2番目に僕を成長させてくれたのは、この出来事です。「読める字を書けるようになった」というのも紛れもない成長の1つではありますが、それ以上に僕は多くのものに気づくことができました。周りの方々は聞く耳を持とうとしない僕に、励ましの言葉をかけてくださり、また、僕にとってもっとも身近な両親は、さらに僕の気持ちをくみ取り、僕に自分と向き合う時間を与えてくださいました。両親は僕に受験をさせてくれるだけでなく、学志舎に通わせてくださり、さらにそれ以上のことをしてくださいました。そのことに僕は気づくことができたのです。言葉として知るのと、身をもって知るのとでは訳が違います。そんな僕に次の試練が訪れます。

 

 

11月のW模試で5科75だった偏差値が70に下がり、国語の偏差値は53になってしまったのです。受験勉強の約8ヶ月で成長していたとは思っていますが、そうした実感があったことも重なり、この結果は受け入れがたいものでした。しかし、その後、僕は僕なりの対処法でこの障壁を乗り越え、ひたすら勉強し、家に帰ったら荷物を取り替え、学志舎に誰よりも早く着くようにしました。その努力の成果なのか、ほとんどの障壁を乗り越えることができました。

 

 

しかしそれでも不合格への不安は消えませんでした。それでも「消える」までに至ることができたきっかけとして、ある1つの大きな出来事があります。その出来事は、受験勉強の中で僕を最も成長させてくれました。それは推薦入試に落ちたことです。周りの方々は、「推薦なんだから仕方がない」とおっしゃってくださいましたが、それでも僕は合格したかったのです。合格発表の日に味わった、合格者の中に自分の受験番号がないと知った時のどうしようもない恐怖は想像を絶するものでした。僕が目にしたのは僕の理想と対照的なものでした。それでもこの一件は僕を最も成長させてくれたのです。この不合格が僕に与えてくれたものは次の3つです。1つ目は「新たな環境」です。僕にはとても尊敬する、戦友でもある学志舎の親友がいます。彼は推薦入試で都立西高校に見事合格しました。本当に嬉しかったのですが、複雑な気持ちもありました。受験は本当に1人で戦うものだと実感しました。もちろん仲間はいましたが、1人で戦うという環境は僕をとても鍛えてくれたと思います。2つ目は「不合格の時に受験生が感じる思いを学ぶことができたこと」です。それまで僕は「不合格」というものを知りませんでした。僕は許容できる感情の大きさ、そして視野が広がったと思います。負け惜しみではありません。3つ目は「より強固な、国立高校にかける思い」です。勉強は自分のためにするものだというのはよく耳にします。たしかにその通りだと思います。努力した分は自分に還元されるものですが、受験においてはもはやそれが全てなどと言っていられません。高校受験での志望校合格は、周りの人に感謝を結果として示す1つの方法です。家族、塾長、友達、先生、自分を合格へと近づけてくださった方々を挙げていたらきりがありません。僕は一度の不合格でこれらの方々の期待に応えることができませんでした。その分、僕は合格をする理由を理解することができたと思います。「合格を本当にしたいのであれば、不合格について考える余力が残っているのは矛盾している」ということに気づいたということです。不合格を経験した僕に残された道は1つでした。「高い質の中でただひたすら量をこなす」という道です。とても基本的なことです。僕の場合はその、自分なりの勉強の本質を見いだすまでに時間がかかってしまいました。「もっと早くに知っていれば」という思いもありましたが、「不合格」をきっかけとして勉強と真剣に向き合うことができただけでも成長なのではないかと思います。そして約1ヶ月が経ち、一般入試の前日を迎えます。僕の「不合格への不安」はその日、霧が晴れるように消えました。きっかけは塾長にいただいた言葉です。「試験を終えたら、堂々と帰ってこい」思わず目に涙があふれました。とても洗練された言葉だと思います。「堂々とする資格」をいただいたように感じました。試験当日、後悔の念なく、堂々としていられるのは1つの大きな武器です。そのためには、日々志望校への思いを高め続けることが大切だと思います。そして迎えた合格発表。不思議なことに緊張はしませんでした。合格を知ったときはよくわかりませんでした。嬉しいというよりも脱力感が大きく、しばらく思考が停止していたかもしれません。それと同時に、それまで自分が経験したことの全てが頭を巡ったような気がしました。「今までやってきたことは無駄じゃなかったな」というような感覚です。そのとき初めて、塾長の言葉の本質や自分がしてきたことの意味を理解した気がします。本当に理解するのは、受験が終わった後です。もし何か自分の望まないことに遭遇してとしても、捉え方を変えれば「苦労は目指す者の証」です。そして、自分の望まないことに遭遇すれば遭遇するほど、合格体験記の内容がより充実します。何かあったら「絶対合格体験記に書いてやる」と思うのもいいと思います。「失敗は成功に風味を添える調味料のようなものだ」と本にも書いてありました。とは言っても受験勉強は基本や定石はあっても人それぞれです。ぜひ自分の受験勉強を見つけ、合格を目指してください。最後に学志舎とはどういう場所なのか書かせていただきます。学志舎はもちろん、志望校合格に近づくために多くを学ぶ場所です。ですが、それだけではありません。「多くを学ぶ」と前述しましたが、その「多く」の中身が言い表せないほど充実しています。なので、学志舎で塾長からいただいたものには、疑うことなく全力で取り組んでください。「疑う必要がない」というのも、学志舎の塾生のみが公使することができる強みです。また、学志舎では参考書では知ることができない、一種の人生論や道徳心を学ぶことができます。おそらく僕が通わせていただいた塾が学志舎でなければ、僕は全てを放棄していたと思います。そんな僕でも目標を達成することができました。全ては塾長のおかげです。学志舎で学べることは1つ残らず学べるように努めることをお勧めします。僕は学志舎に通うことができ、本当に幸せです。本当にありがとうございます。