これは僕にとっての始まりに過ぎないと断言する。

忠実で居続ける。

No White Flags(降参しない)

小さな勝利(克服)の積み重ねがその戦いに勝つのだ。

いつも読んでくださりありがとうございます(^^)/♪

少し前のことになりますが、

現地7/14、2018-19季のウォリアーズと2way契約したデイミオン・リーDamion Lee)...

↓こちらは、サマーリーグ会場に訪れていたリーの声とハイライトです。

ラスベガスの会場のこんな開けっ広げな場所で書類にサインしたのかな...。

 

↓サンタクルーズも2017-18季のリーのハイライトをアップしてました。

クイン・クックや、修行中のデイミアン・ジョーンズもいましたね!

 

↓2017-18季のステフとの対決シーン

photo via NBCS Warriors

 

デイミオンが壮絶な体験強い意志を語ったコラムをぜひ読んでみてください!

(このコラムは、ウォリアーズと契約する前のことまでです)

***

”NBAの夢、決してあきらめない、忠実であり続ける” by Damion Lee

***

『降参しない』”No White Flags”

(現地2018/7/2)

2018年3月12日月曜、僕はダラスのホテルに居た。

朝8時23分、僕はまだベッドで横になっていたが、急に電話が鳴ったんだ。

 

エージェントからだった。

でも僕は、彼におはよう、と言うことさえ出来なかった。

電話向こうで彼が叫んでいたんだ。


”デイミオン、起きろ!

アトランタへ行ってくれ!

君には10日間ある!

彼らがたった今、君のフライトの手配をしているからね!”


彼はそれだけ言って電話を切った。

しかしそれはたいしたことではない、彼が言うべきことはそれが全てだったから。

僕が2年間もその電話を待っていたことを彼は知っていたんだ。


僕はすぐにでも家族それぞれに電話をしたかった。

僕がこれを始めたばかりのときに、それを告げてから2年間ずっと僕を応援し、信じ続けてくれた彼らに、僕は感謝を言いたかた。

サイデル、僕のフィアンセに電話をしたかった。

ほんの1分欲しかったんだ。

 

バスケットボールのコートの上で、僕がずっと乗り越えてきたことを考えたかった。

僕が直面した怪我や思いがけない状況なども。

僕の人生のほとんどがコートから作り上げられたんだ。

 

しばらくしてまた、僕の電話のブザーが鳴った。

エージェントが、僕の日程をスクリーンショットで送って来たんだ。

その日の夜6時までにアトランタに着いていなければならないスケジュールだった。

 

そしてその翌日にゲームがあったんだ。

空港へ向かう車の中で僕の過去を振りかえろうではないか。

***

2013年11月27日-

僕は、ドレクセル大学(Drexel)のジュニアイヤー(3年生)だった。

(キャ:1年生=フレッシュマン、2年=ソフモア、3年=ジュニア、4年=シニア)

マジソン・スクエア・ガーデンでアリゾナ大学とプレイしていた僕たちは、当時全米でNo.1チームと対戦する小さな中堅校だった。

チーム全体がチップオフの前でガヤガヤしていた。

それは苛酷なゲームだった。

残り10分くらいまで僕たちがリードしていたんだ。

 

右膝がスナップ(パチンと鳴った感触)したとき、僕はバスケットへ向かってショット体制に入っていた。

(キャ:↓デミオン・リー、背番号14番)

【Arizona Wildcats vs Drexel Dragons 11/27/2013】by College Basketball Games 2014/11/30

ACLを修復する手術を受けなければならなくなった。

僕にとって、初めての手術だ。

 

シーズンを途中で終わらせてしまったのも初めてだった。

リカバリプロセス中ずっと、いつも不確かなものが付きまとう。

僕は元のプレイヤーに戻ることが出来るだろうか?

そういう疑念で一晩中眠れずにいた。

 

数か月間だと言われることは、きっと不可能なことだった。

僕はそれに耐えるしかなかった。

***

2015年2月21日-

ドレクセル大学でのレッドシャツ・ジュニア・イヤー。

(キャ:レッドシャツ=怪我でロスターに入れないなど、チームに所属しているが出場していない留年した選手)

ノースイースタン大学とのゲームだった。

カンファレンス・トーナメントまで、あとわずか2試合だった。

試合中、僕がフープへ向かってドライブし、レイアップをあげようとしたら、誰かが僕の手を後ろからスワイプした(叩いた)んだ。

 

そのゲームで僕は30ポイントをあげたが、手の具合がずっと気になっていた。

痛みが消える様子がないんだ。

トレーナーは、僕にレントゲン検査を受けさせると決めた。


シュートハンドを骨折したとわかった。

また手術がしなければならない。

神に対する信仰は、決して揺らがなかった。

 

僕のためにもっと大きな何かを与えてくれたのだと僕は考えた。

最初のACLの怪我から復帰した僕は、トレーニングでやり直せるとわかっていた。


でもそれにはまた、かなりの時間がかかるんだ。

***

2016年2月5日-

僕は、最終年にふさわしい大学バスケットボールのためにルイビル大学に転校した。

全てのホーム戦を22,000人の前でプレイすることは、本当に驚くほど素晴らしい経験だった。

勝つことに加え、僕の主な目標は、シーズン通して健康でいること、そしてNCAAトーナメントでプレイすることだった。

2月5日までは、全てが上手く行っているように見えた。

3日前、僕たちは、No1ランクのUNC(ノースカロライナ大学チャペルヒル校)を破った。僕たちにとって大金星だったし、誰もがそのトーナメントで素晴らしいシードに向かっていくと予想していた。

 

しかし、2月5日、大学は、自ら課したポストシーズン禁止がベストであると決断した。(キャ:当時、新入生採用スキャンダルで、NCAAのルール違反の容疑がかかっていた)

スナップでもない、スワイプでもない、手術でもない。

 

しかしそれは前触れもなく、そのトーナメントでプレイするという僕の夢は、消え去った。

 

そして、

今度はどんな可能性も残っていなかった。

***

2016年12月23日-

ドラフトされなかった僕は、ボストン・セルティックスのトレーニング・キャンプに行き、Dリーグ・チーム、メイン・レッドクローズ(Maine Red Claws)とサインした。


Dリーグにいるあらゆる人々が、同じ理由でそこにいる。

誰もがNBA行きを叶える夢を追いかけているんだ。

それはプレイするには激しく苛酷な場所だ。

しかし、僕は、切磋琢磨することは好きだ。

毎日そこでトレーニングを積んで、コートの上でそれを証明する自信があった。

12月前半まで、僕はそれまでの人生で最高のバスケットボールをしていた。

 

スナップした。


クリスマスの二日前だ。

そしてNBAとの10日契約が始まる1週間前だった。

ハーフタイムの数秒前、左膝のACLが断裂してしまった。

 

またやられた。


しかし今回は、僕はしなければならない全てのことをわかっていた。

精神的な試練、体の痛み、松葉づえ、治療など、あらゆることを知っていたんだ。

 

3年前とまったく同じ苦しみだ。

前よりも簡単だという意味ではないが、少なくとも前よりは心の準備が出来ているとわかっていた。

 

神様は、僕の信念をテストしているんだと思った。

これが僕が本当にしたいことなのか、それを証明しなければならなかった。

人は厳しい時間を経験すると、自分のための本当の自分がそこに居るとわかるんだ。

僕の家族は、その間ずっと僕の支えになってくれた。

サイデルと彼女の家族もだ。

 

僕と一緒にプレイしてきた他の選手たちは、数週間前に突然、契約にサインしNBAチームに加わるチャンスを手にしていた。

 

その間、僕は家にただ座っていたんだ。

僕は、コートへの復帰を目指して治療し、できる限りのハードワークをした。


僕にはまだチャンスがやってくるのだと信じていた。

自分自身に言い聞かせた、

僕がやらなければならなかった全ての事が、あきらめるなと言っているんだと。


完全に健康になった翌シーズン、僕はサンタクルーズ(GSW傘下のGリーグチーム)でプレイした。

初めからもう一度、自分を証明する準備は出来ていた。

バスケットボールをプレイして、電話が鳴るのを待っていたんだ。

 

(↓Damion Lee #3)

Damion Lee (30 points) Highlights vs. Northern Arizona Suns

 

***

 

結局僕は、アトランタへの飛行機に乗る前、母に電話を入れた。

母は看護師をしていて、廊下で電話を受けなければならなかった。

彼女は、僕に何か非常事態があったのかと思ったらしい。


僕は、母の泣くのをしばらく聞いていた、

ホークスとの契約をもらったと僕が伝えると、彼女はNBAでプレイするという僕の夢が実現したのだとわかってくれた。

 

特別なことだった。

何年もの不確かなことから解放されたような気分だった。

 

僕のママの後に、サイデル(Sydel)に電話を入れた。

彼女は絶叫したよ。

そして、新しい旅に乗り出す僕に期待していた。

いつゲームを見に行くことが出来るのかって、彼女は思いを巡らせていたよ。

僕のママもシデルも、僕の才能をずっと信じていてくれて、

あとはハードワークとタイミングだの問題だけだね

と、いつも僕に話してくれていた。

 

彼女たちの言うことが、正しかったね。

 

実は、最初のNBAゲームは翌日すぐだったから、

僕はそれについてじっくり考えることさえ出来なかったんだ。

 

***

2018年3月13日

午後6時前、僕はアトランタに着いた。

翌日は朝7時に起きなければならなかった。

ジムのワークを済ませて、公式のサイン、そして写真を撮って、数プレイの試合前のコーチ陣との事前打ち合わせやチームのシュートアラウンドに向かう準備をした。

 

ゲーム前の睡眠をとること出来なかった。

起こりそうなシナリオが、凄くたくさん僕の頭の中でぐるぐるしていた。

僕はバスケットボールのことだけを心に描き続けた。

僕がしなければならないことは、コートに出てハードなプレイすることだ。

他の全てのことは放っておいても解決するんだ。

 

ゲームタイムが近づき、僕は自分のロッカーの前に腰を下ろし、ただ待った。

国歌斉唱、先発ラインナップの紹介、いよいよチップオフだ。

第1クウォーターが終わるまで、ベンチで自分の出番を待ち続けた。

チームメイトを応援し、僕たちのゲームプランに向けて、集中し続けた。


コーチのバッド(Mike Budenholzer:マイク・ビューデンホルツァー)が、最初に僕の名前を呼んだのは、第2クウォーターだった。

 

ついに僕は、初めてNBAのゲームに出たんだ、健康な体で

 

コートに入ったとたん、緊張は僕の中からすっかり消えていた。

僕はやっとここまで来たんだから、与えられた時間全部を楽しもうと思った。

 

【Damion Lee Excels in NBA Debut 】by Atlanta Hawks 2018/03/13

 

***

時々、こうして振り返って、ちょっとした時間、当時の自分と向き合うことは楽しい。

その思い出は、良かったりも悪かったりもするが、人生を価値あるものにするんだ。

しかし僕は、過去にあまり捕らわれないようにしている。

昨シーズン、アトランタで15試合をプレイする機会に恵まれた。

もちろん、僕は初めてそこに足を踏み入れた時のことはずっと忘れずにいる。

そして一番最初に、僕のママとシデルに自分のプレイと初勝利を見せることができた。

結局、これまでの出来事は、ここにたどり着くためのきっかけで、やり続けていく重要な理由なんだ。


そのシーズンは、好調のまま終わった。

僕たちは、2ゲームを快勝した。

そしてアトランタは残りのシーズンの契約を僕としてくれた。

 

僕には何よりも大切なことだ。

彼らが僕を信じてチャンスを与えてくれたことに感謝している。

 

立ち直る力を持つことは辛い時期を耐え抜き、自信が生まれる。

 

小さい頃、ママが僕にこう言ったんだ、

”神様には、あなたのためのプランがあるの、

あなたの人生のためのプランがあるのよ”と。


僕はもうすぐ結婚する。

 

新しいバスケットボール・シーズンまで、もうあと数か月しかない。

やらなければならないことがたくさんあるのはわかっている。

でも凄い楽しみだ。

これまでのことは、必ずしも僕の計画通りではなかった。

しかしここまではなんとかうまくやってきた。

今、本当に、僕はバスケットボールがしたい。

来シーズンの開幕は先発したい、そして勝ちたい。

 

しかし今は本当に、

僕は本当にバスケットボールをプレイしたい。

 

僕の物語は、インスピレーションを与えるだろうものだ。

これを読む皆に、始まりが全てを決めるのではないということをわかって欲しい。

君のために物事がどんな風に始まるのかということなんだ。

成り行きに乗ること(ride)、あてのない旅(journey)、それは凄く重要なものだ。

 

誰が苦難や試練の全てをその人生に生かすことが出来る。

 

数々の小さな勝利がやっと動き始めるところまできた。

戦い決して終わっていない、

しかし、障害を克服し、続く自分の物語は、自分の戦いがどのように終わっていくのかを確定するものだ。

 

自分や周りのことに忠実であり続け、自分自身を、そして自分の才能を信じ続ける。

 

ちゃんと覚えておくよ:

 

手の骨折1回、
ポストシーズン1回禁止、

ACL断裂2回、

Gリーグで2年、

 

そしてまだ、電話は1回しか鳴らない。


これは僕にとっての始まりに過ぎないと断言する。

忠実で居続ける。

No White Flags(降参しない)

小さな勝利(克服)の積み重ねがその戦いに勝つのだ。

 

】(情報元:No White Flags)

 

リーは、このコラムの後で、ウォリアーズとの2way契約をしました。

 

ウォリアーズ主催の子供たちとのキャンプに訪れたデミオン・リー。

サイデルとの結婚式はいつなのかな...。

リーは2way契約ですが、ちゃんとウォリアーとしての活動開始ですね!

ロゴ見るとサンタクルーズのコートを使ってのバスケットキャンプなのですね。

---

【Damion Lee Player Profile - Crustacean Nation S2E3】 by OurMaine TV 2017/01/19

 

【Damion Lee Atlanta Hawks Highlights】 by nbagleague 2018/03/14

 

★デミオン・リー関連記事:

2018-07-15 :

[ウォリアーズ、2way契約の一人目、デミオン・リーとサイン]

2018-07-11 :

[デミオン・リー、ウォリアーズの2way契約に合意/マッカウはどうなる?]

2018-03-13 :

[ステフィン・カリーの将来の義弟、デミオン・リーがUSA代表後、アトランタと10日契約]

 

★今日のイデオム:

for the world:(好感情検討して世界を貰えるとしても)絶対に、決して

wouldn't trade ~ for the world :~が何よりの大切である。

(世界と引き換えても交換しない)

 

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