関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか | CACHETTOID

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一人の人生で得ることのできる知識や経験は、ひどくちっぽけなものですが、僕らは巨人の肩の上に立つことにより、遥か彼方まで見渡すことができます。
文学、芸術、神経科学、哲学、思考などを自由に展開していくブログです。

 

勢いに乗って書いてしまい、過激になっていることを自覚しています。
 
久しぶりの新書。最後に新書を読んだのはいつだったか、記憶がないくらい。
ケーキを切れない非行少年とか、コロナ関連とか、応仁の乱とか、読もうかと思う本はあるけども、どれも陳腐で非凡性が見えなくて足が遠のいていた。この本もおそらくは自分一人では手に取ることすらなかったと思う。
いや、手にはとっていただろう。というのも、身近な問題に対する本というのは機会があれば読んだらいいと思われるからだ。だから、フランス文学評論のようなものからゲノム編集やら認知症やらは読んでもいいけど?と思うわけである。膨大なテーマがある中で、新書は二つに分けられる。自分の専門を簡易に記した本と、自分の専門ではないのに勝手気ままに感想を書いた本。前者は大部分において、自費出版というか、自分が書きたくて書いた本ということで熱意に溢れ、ショーペンハウアからすれば読むべき本。後者は書けと言われて書いた本で読むべきでない本。
 
僕はこの違いを区別することはできないので、誰かから勧められるという行為を大切にしている。
本とは、単純に知識を増強する媒体ではなく、本にある考え方を通して自分を高めるものだと考えているからだ。そのためには雑多なものを読む、つまり、自分に興味がないものも読む必要があるのだが、自分の世界に閉じこもっているとそういうわけにもいかず、選択された本はバイアスによっているため、他人の存在は非常に有用である。ということで、教えてもらった本。まず、本屋で見た時に、それでも買おうと思ったのは、彼女への好意でもあるし、交通新聞社新書という出版社に影響したところが多い。つまり、交通新聞社がだす本なのだから、熱意溢れた本だろうと、しかも、テーマは関西と阪急なので、この対象は関西人、特に阪急を利用する阪急沿線、神戸から京都までの住民なのだから、自分は、そのベン図にしっかり組み込まれているのである。さて、というわけで購入に至った。
著者は伊原薫という方で、この著者によって読み方を変えるという考え方は唾棄すべきである。これは、ナボコフがそう言っていたし、自分もそう思う。なんの背景もなく純粋にこの著書を楽しめるか、その観点で読むべきだ。つまり、彼が、ただの鉄道マニアなだけなんてことは気にする必要はないのだ。
そして、まっさらな状態で読み進めたのだが、、、
第一章の小林一三の考え方と阪急の発展についてはよくかけていた。当然彼の自伝に沿っているので、彼の考え方がきちんと記され、感動を引き起こし、阪急に対する理念と細やかな気遣いが描かれていた。しかし、伊原の著述力は驚くほど低く、また、装丁の仕方も悪い。阪急をなぜ特別と思うかという点に「乗客第一」を掲げるのだが、伊原は全く「読者第一」を掲げていない。挿入される写真は文章と関係がないところもあるし、関係があってもどれを指し示しているかわからないものもある。数字の羅列、漢字の羅列が多くてパッと頭に入って来ないし、新参者の関西居住者の僕にとっては名称はどうでもいい。むしろ、宝塚歌劇団のの発展、動物園のエピソードなどはかなり阪急の地域住民への愛情を感じ、それを思い起こすに十分たるだろうので、それを描き切るべきだ。が、それも叶っていない。
と言いつつも、第2章まではまだ許せる。彼の文を読んでいる間に気づくのは、彼の情報源が乏しすぎるということだ。彼は客観的に得られたデータと自分の背景からしか話していない。あくまで新聞の切り抜きをまとめただけのように感じる。
人という重要なファクターが第二章以降抜けている。これも彼の情報源の乏しさによると思われる。
小林一三がどう考え、こうだからこうした、これは失敗だった、この考えは自伝によっていて、リアリティがあり感情がこもり、僕の心を揺さぶったが、そのあとは事実の羅列だけ、時々あるとすれば、彼のなんとなくの心情が「感慨深い」やら「考えるところがある」やら、何も述べてないに等しい感想がおまけのようにつく。全くもって伊原の感情、なぜ阪急がすごいと思うかが表されていない。
数字を述べるのならグラフ化、図示、イラスト化をといった、現在のプレゼンテーションでは至極当然となっている知識もなく、文の羅列をしているが意味はない。これは、読者を軽んじている証拠であり、分かりにくい文を作り上げて何がいいと考えているのだろう。
本のタイトルは「阪急を別格と思うのは?」という命題を呈しているにも関わらず、その答えは最後まで出ていない。
仮に自分がこの本の著者となるのであれば、どうするかということを考える。まず第一に、関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか、それを関西人の視点で述べる。対比としてその他の地域の人をあげる。関西には大きく三つ、細かくはそれ以外の鉄道もあるが、があるので、その中でも阪急を別格と思われている根拠をまず述べる。例えば、街角アンケートだったり、阪急、阪神、JRの売り上げと乗客数、これは阪急は電車のみでないという後から来る伏線にもなるので、電車の利用と附属施設の利用を分けて描く。さらに、大きく、阪急にはこんなにも多くの附属物があると紹介する。そして、これを阪神、JRと対比する。対比はもちろん、他社が優れていても良い。ここは事実のみを述べる。
この時点で、関西人が阪急を別格と思っていなければ、お話はおしまいである。しかし、おそらくなんらかの一長一短があるので、阪急の利点は何かしらあるはずであり、それをあげれば良い。そして、僕なら、著者の指摘する患者主体のサービスをここに繋げる。
ということで、患者主体のサービスが阪急の利点であると言おう。
その中で、電車本体、付属品、附属施設と幅を広げる。逆でもいいが。それは読みやすく理解しやすいところから手がける。
当然、データなんてものは無機室で愛情を感じず、感動を芽生えさせず、かたくて面白くもなんともないのだから、小林一三だけでなく、その他の社員や技術員にもフォーカスを当てる。そのために僕であれば、社員にインタビューや内情を聞くことを怠らない。というかそれが抜けているので彼の文章には全く現実感と感動がないのだ。こんなこと、文を書く人ならやって当然じゃないのか?それがプロじゃないかと思う。村上春樹だって、地下鉄サリン事件関係者を被疑者から被害者まで調べに調べ60人を超え、ようやくアンダーグラウンドを作ったというのに、彼よりも能力が低いと想像される(だって、村上春樹は世界の村上で、ノーベル文学賞候補なのだから)のに、村上春樹より書く熱意も努力も怠って、良本ができるわけがない。
そして、幅広がりにするために、この新書はあくまでさらりと感動秘話あたりを盛り込む方が正しい。細かい数値を知りたければそちらを読んでくださいと自署を紹介するようにしよう。つまりは、この新書を書く上で基礎情報を集め、その過程でもう一つのデータ集が作られる。そちらが細かく書いていますから、そちらを読んでくださいねと熱意を見せるわけである。いわゆる成書(聖書)を参照してください、だ。
しかし、この本は人が出て来ない。それが僕にとって面白くない点だった。
こういう駄作は読まないに限るし、駄作です、書けと言われたので書いたまでです、と銘打っていただきたい。