壁 安部公房 | CACHETTOID

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Art is long, life is short.
一人の人生で得ることのできる知識や経験は、ひどくちっぽけなものですが、僕らは巨人の肩の上に立つことにより、遥か彼方まで見渡すことができます。
文学、芸術、神経科学、哲学、思考などを自由に展開していくブログです。

一年ほど前に書いていた感想文をアップします。
 
2019年12月31日。車内の外は暗く、自分の顔が反射している。目を大きく見開いたその顔はいつも鏡で見るその顔である。
 
S・カルマ氏の犯罪
 名前とは何か。名前には何の意味があるのか?実在するものは名前がなくてもそのことを示すだろうか。シェイクスピアのロミオとジュリエットはお互いの境遇という名前に苦しんで、先のようなことをいうシーンがある。名前に課せられた使命は、実在だ。名前がないとすれば、それは、名前に関わるものの外にいることになる。区役者仕事、法律、そういった煩わしい俗世から逃れることができる。コミュニケーションが必要となった世の中において人一人で生きていくことはひじゅに難しいけども。
作中に出てくる登場人物はとても馬鹿らしいが名刺や靴屋ズボンやそういったものが擬人化していく様は、不思議の国のアリスを思わせる。シュールリアリスム的な文学と言っていいだろう。思い立って、出てきたものがどんどん情景となり考えとなり、実現していく。壁は、邪魔をするものや立ちはだかるものといったネガティブなものを印象付ける。溝は乗り越えるものであるにも関わらず。大衆は壁。まぁ、相手を空想するのであれば、相手の前に表すことができる壁は自分を守るべきものとなりうる。
シュールレアリスムの手法としてオートマティスムが使われ、頭の空想をそのまま文字に起こしていっている印象がある。はっちゃかめっちゃかではあるけども、アール・ブリュっトではなさそうだし、いかにも教養がありそうな書き方をしている。思想はその個人の根底にあるだろうことなので、思想自体が具現化するときに結局、その人個人(安部公房)が何を考えているかと示しているように思う。シュールレアリスムの手法を意識しながら読んでいると、次のバベルの塔の狸で、実際にその手法をそのまま文章にされていて驚いた。望んだものが実現していっている。
 アンドレ・ブルトンが1924年にシュルレアリスム宣言をする。僕は本当のシュルレアリスムテキストを読んだことがないので、安部公房の著作が本当にシュルレアリスムに沿っているかわからない。なぜなら、本当に自動記述法を酷使すると、やっぱり意味が通らなくなりそうだからだ。短文であれば、いける。僕自身が書く文や、最近のブログやケータイ小説など、それらは実は自動記述法を使用しているように見える。プロットがなく、何を書いているかわからない。絵を思う。思考に入ってくる感情は、ジョイスの意識の流れにも似ているし、ふと違うことも思えば、雑音や、外の風景や、そういったことに感情や理論は影響を受ける。しかも驚くべきことに表象された景色で十分である。そのため、意識はふとしたときに脱線し、そのうち帰ってこなくなる。意識を自分の外の風景に写すと、風景の写実的な表現は可能になると思うが。ポロックの絵。予定されず書かれた絵はその行為によってaction paintingと呼ばれ、絵の具を垂らしてみたり、打ち付けてみたり、額縁を縦にしたり横にしたり、予定しないことによって人間の内面を表出しようとする。色。それも前もって予定しない。赤の気分、黄色の気分、それぞれの色は文化背景を示すし、楽しさや悲しみや喜びや驚きなどを表現することができる。手法を伝えるときに白髪は足で絵を描くフットペインティングというものを作り出したし、無駄な記号をひたすら書き続けたり、自分の好きなものに固執してみたりと芸術家は好き放題してきた。意図をうまないということがそもそも意図を持ったコンセプチュアル・アートであるし、文学も、文学を何も意識しないで書いてみたということがコンセプトがなくてもコンセプチュアルである。
手法論を伝える本もあってもいいし、それを物語化する、象徴文学にする。そういって読み進めることもできる。象徴化された多くのもの、名刺、靴、マネキン。ラクダ、壁。狸、目、それらはその人が今しがた考えている象徴を示す。さて、どこからこの暗喩は生み出されるのか。イコノロギアという古い本は狐を狡猾、鳩は聖、骸骨は死、みたいなことを一つ一つ示した。知識人はそれらを絵の中から読み取って、自分自身の知識の確認をし、喜んだ。僕自身、似た傾向があるから、愛の結晶化作用を記載したスタンダール、ダリの引き出し人間、ユダヤ人のさまよいなどは全部イメージができておそらく安部公房と同じイメージをもつ。難しい表現を使って人を惑わすことは案外簡単なことではないかと思っている。だからなるべく平易な言葉で、でも教養をふんだんに使用する。
大変面白い。