幸福論 | CACHETTOID

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Art is long, life is short.
一人の人生で得ることのできる知識や経験は、ひどくちっぽけなものですが、僕らは巨人の肩の上に立つことにより、遥か彼方まで見渡すことができます。
文学、芸術、神経科学、哲学、思考などを自由に展開していくブログです。

 幸せとは何か。幸せをこれまで論じたことがあっただろうか。巷に溢れる幸福論は理論的なものもあれば、そうではないものもある。多数派が世の情勢を占め、あたかも真実のように謳うため、幸福論は曖昧でぼやけた非論理的なものに支配されている。
 現象論からのアプローチはもしかしたら、フッサールとかがしてるかもしれない。残念ながら僕はその知識がない。
 まず、調べるより前に、自分の意見を書く。
 幸せの定義が最も大事である。これはどんな事象を考えるにおいても重要なことで、定義が曖昧であると、齟齬が生じる。"箱の中のカブトムシ"と同様にお互いの認識の違いによって、定義から外れたもの同士を議論させることとなりうる。
 なので、幸せとはなんであるかを定義する必要があるのだが、感情は表現が難しい。特に、いっときの感情ではなく持続的な感情なのでなおさら定義が難しくなる。幸せとは、「自分自身が幸福だと思う時間が、自分自身の中のある一定基準を超えていること」とある意味トートロジーのような表現になってしまっているがこれを定義とする。幸福だと思うの定義は人それぞれである。その人自身においてどうかということである。一定基準も人それぞれである。あたかも、裕福な家庭で育った子供はお金があることは幸せの一助とはせずに、貧困家庭ではお金があることを幸せの根本となすように、人を助けるボランティア活動により自尊心が高められ幸福を感じたり、逆に人を貶めることで幸せを感じることもありうる。
 何れにしても、それらの感情の表出の時に、体内で何が起こっているかを検知することが重要かと思う。観察無くして実験なし。観察無くして推測なし。というわけで、人が幸福だと感じている時に何が起きているか?この答えは脳にありそうだ。この点に異論はあまり生じないように思える。それぞれの細胞ひとつひとつが幸せを感じているといった文学敵表現はさておき、脳以外の体内臓器のどこがこの幸せの感情を司ることができるか。それは非常に困難だろう。しかし、こういった絶対的に正しいと思われる表現にこそ、人は注意をすべきである。現状、反対意見が見当たらないので、人が幸福だと感じている時に脳に何が起きているか?という問いを解決すれば良いということにしよう。
 脳はニューロン、グリア細胞、血管内皮細胞、ミクログリア、髄液で構成される。脳の主な機能は、ニューロン同士のコネクションやニューロンとグリア細胞のインタラクションが、感情やら知覚やらに重要であろうことがこれまでの研究で示唆されてきている。そのニューロンを群とみなし、機能的解剖学的に分類する事で、それらの障害もある程度検知されている。
 幸せと感じてしまう(多幸感)疾患もおそらくある。ひとつは脊髄小脳変性症といわれているが、ここの記載の多幸感は、あくまで幸せそうな表情というように思える。言語学的に幸せの対義語である不幸も幸せの解析に有用であろうか。逆説的な不幸を感じるのはやはりうつ病が代表ではないだろうか。うつ病は、セロトニン作働性ニューロンの機能不全が問題であるとすると、このセロトニンが幸せを作り出している立役者のようだ。性行為そのもので生み出される快感や成功時の達成感、興奮時に放出されるエンドルフィンという物質はも同様に幸せを作り出しているように見える。パーキンソン病患者において、うつ病、アンヘドニアが多いことはドーパミン作働性ニューロンも一助を担っているかもしれない。
 どのファクターがキーポイントなのか。ホメオスタシス機構、効率性から考えると、いずれのニューロトランスミッターにしても産生過多状態を維持するにはエネルギー総量が膨大となりそうである。ニューロトランスミッターを数多く放出すると受け取る側のレセプターの数も増やさないといけないし、リサイクリング機構も分解機構も増やさないといけない。物質の量のみで論議するべきではなく、シナプス伝達効率を考察しないといけないようにも思う。輸送系としては、ほとんど動かないけども動いていないわけではない系、つまりブラウン運動系が最も効率的にエネルギー消費をしているようだ。なので、多すぎず、しかしきちんとシナプスが繋がっているというシステムを考える。その消極的シナプスが最もエネルギー消費量が少なくニューロトランスミッターが受容体と反応できるように思える。そして、物質数が多くなればフィードバック機構で放出されるニューロトランスミッターの総数が減る、言い換えれば、抑制されるという点を考えると、幸せが仮にこれらのニューロトランスミッターによって調整されているとすれば、急激な変化を減らすことが幸せを作成しうると思う。これは、パーキンソン病のContinuous dopamine stimulationに他ならないと思う。数多くの幸せを一時的に作り出すことはいけないのかということが次の事案で、その場合には、それをフィードバックとして負の状態を作り出す時に人はどう感じるかということを議論すべきである。この加速度が幸不幸と相関関係にあるのであれば、ネガティブフィードバックがかからない状態にするしかない。可能か?
 さて、ホメオスタシスがいずれのレベルであっても生じうるとして、つまり、幸福を感じている時にもニューロトランスミッターの放出量が定常状態となるとして、その時は、幸福に馴化してしまうように思う。そしたら、base lineの幸福と比較して、積分をした時に幸せがどれだけ多いかと考えるほうがいいのか?ニューロトランスミッターの総量の時間的変化が単純な振動によって表現され、そしてその減衰率及び蓄積率が非対称であれば、幸福が総体として多くなることがありうるが、振動が対称性であれば、原理的には幸福と不幸が同程度の総量となる。base lineの設定を下げれば、幸福の総量が増え、設定をあげれば幸福の総量が減る。後者の原理では幸せは総体としては0ということになるので、幸せを多く得るためには、速度をほんの少しだけ上げることができればいい。そして、その後、速度を緩めないということで持続的な幸福を生み出すことが原理的にはできる。いうが易しであり、現実的に可能なのだろうか。
幸せとはずれるかもしれないが、報酬系における脳活動を考えてみよう。現在のところ、報酬系の中心的役割を担っているのは中脳腹側被蓋野(VTA)と側坐核(NAc)である。生物のほとんど全ての行動が実は報酬系に関与していることを実体験から推測すると、純粋な報酬系の活動の総量を見るには、VTAに入力を受けた後の出力系ニューロンの発火総数を計算するのがいいように見える。そのために、まずVTAに存在する物質のプロファイルを確認する。VTAにはneuronとastrocytesが存在し、*:*である。neuronは含有するニューロトランスミッターにより命名される。dopamine neuronsとdopamine neuronsを抑制するGABA neuronsのようだ。他にはglutamate neuronsがいるように思えるが。dopamine neuronsが幸福の出力系と仮定して、この総量を電気的に計算する?
難しくなってきた。そもそも、快楽物質の総量だけで物を言うのは無理がある。