ギュスターヴ・モロー展 | CACHETTOID

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モロー展。2019年9月21日。さて、とうとう、ファム・ファタルを論じる必要が生じた。
ファム・ファタルは自分の最も興味するところの一つである。マノン・レスコーのところでどれだけ論じたかはわからない。もしかしたら、マノンの魅力に当てられ、上手に論じていないかもしれない。ということはここで論じることが初めてなのかもしれない。
ファム・ファタルは一般的・美術史的には、男を破滅させる女として描かれ、表現されている女性であり、ギュスターブ・モロー、クノップフ、ビアズリーら象徴主義者がおもに主題として扱った。文学的にはアベ・プレヴォーがマノン・レスコーで示したものが初めてであり、その後の経略はカルメン、うたかたの歌などに続く。日本としては、谷崎潤一郎の痴人の愛に登場するナオミを代表とするという声が多く上がっている。ファムファタルについて論じた本としては、日本のフランス文学研究者である鹿島先生や無邪気と天使は紙一重で有名な(自分の中だけだろうか)青柳いづみこに代表される。ネットで検索するとよく分からない漫画がヒットするのだが、読む気にはなれない。
ファム・ファタルはフランス語で、Fam Fataleとなる。英語ではFamme Fatalである。Fatalを英語で直訳すると「致命的な」「死に至らしめる」といった意味がおもな形容詞であり、「運命的な」という意訳も一応存在する。どちらにしても対象が必要なため、fatalなのは何に対してかということになるが、これは男性に対してである。よって、famme fataleは(男を)死に至らしめる女という意味になる。ということで、日本語で調べると運命の女という意味が出てくるが、これは意訳しすぎのように思う。運命というものは良い意味でも悪い意味でも使用ができる。そのため、破滅に至らしめるというネガティブな印象からファム・ファタルを良いものへと昇華してしまう。仮に、ファム・ファタルが良いものであるとすると、これはやはり、男性としては、ファム・ファタルを潜在的に望んでいるというように見える。この点を青柳は指摘しているのか、男性がオム・ファタルなのではないかという考察をしている。マノン・レスコーにおいては、マノンは著者による外見の描写から雲のように免れているので、男性読者はマノンを理想化し、女性読者はややもすると自分に投射ないしは、自分の嫌いな人物に投射するのかもしれない。女性評論家の目線では、マノンによってグリューが人生を狂わされたのではなく、グリューが勝手に狂っていったのだと評価される。日本にくるまでの経緯でファム・ファタルを運命の女などと良いイメージを与えたのは男性主体の社会であったという事実が関連しているかもしれない。あくまで、言語的には、ファム・ファタルの対象である男は破滅的になることが望まれ、それが良いかどうかは分からない。

さて、ファム・ファタルが男の運命を壊滅的にさせるということがわかったとして、女性のパターンとして二つあげられる。一つ目は意識的に男を破滅させる場合、二つ目は、無意識的に男を破滅させる場合である。この分類はもともとの意味を分類したものであるので、どちらもファム・ファタルであろう。
モローは今回の展覧会で多くのファム・ファタルを提示していたが、いずれもが合致するかどうかは鑑賞者に委ねられるだろう。サロメ、スフィンクスがファム・ファタルの元来のモチーフであり、どちらも男性を意図的に誘惑しようとする。スフィンクスは、ルーブル美術館のオーディオガイドによると、あくまで彫刻などはスフィンクスと呼ばれるので、この人間の顔、ライオンの体をした生物をスフィンクスと呼ぶことは必ずしも正しくないとしている。そもそも、スフィンクスが女性であるという点に少し驚きを感じる。
無意識的に男を誘惑した例としてモローはバテシバをあげているが、これは懐疑的である。もしかしたら、今回の展覧会のキュレーターがバテシバは無意識的なファム・ファタルの一例に仕立て上げたのかもしれない。ファム・ファタルは現代社会では存在しない。

そろそろ、本日のテーマである、ギュスターヴ・モロー展について。
本日は、くもり。雨はポツポツと降っていたが、昼間には止んでいた。服部病院の午前診をした後、内科学会地方会に出席してからの展覧会だった。展覧会は9月24日までで、明後日で終わる。あべのハルカス美術館で開かれていた。あべのハルカス美術館は、以前何かの展覧会できたことが確かある。忘れてしまった。確か第九の芸術、漫画展だったと思う。展覧会場は26階にある。森美術館を思わせるが、森美術館より良心的で、展覧会の閲覧料だけで入ることができる。さぞ、カップルなら楽しいだろうなと想像する。
一人で、メモを取りながらまわるとすぐに鉛筆を渡してくれた。鉛筆で書かないといけないらしい。なぜかはよく分からないが。日本の展覧会は人が多い。これは良いことだけど、いささか奇妙である。美術に興味があるのかないのか分からない人が多いからだ。まぁ、デートスポットとして成り立っている点と美術を見ようかなと思っている人がいることがわかるのでいつも嬉しくなる。人が多いので、作品を見るのに困るけども。
メモを取りながらまわるのは、ルーブル美術館で学んだ。オーディオガイドにメモ、最終的には顕微鏡のようなものを手にするかもしれない。時々、カメラを持っている人を見かけるが、カメラも必要になるんだろうか?現代アートにはカメラよりもビデオが適しているので、ビデオが必要になるかもしれない。メモを取りながら歩くと、時間がかかるが、しかし、そもそも人が多いので、あまり他の人と変わらなかった。背景の説明、展覧会の説明の英語に勉強になりながら過ごした。
ただ、自分の字が汚くて読めない。
モロー(Gustave Moreau: 1826-1898)は、象徴主義(symbolist painter)である。
fammes fatalesはleding men to their destructionをする女性のことを指す。
fammes fatalesはgrandeur, pleasure, carnality, temptation, love, deathで表現される。
今回の展覧会の作品はどれもフランスのMusee national Gustave Moreauから来ている。モロー博物館!モンマルトルかどこかに確かにモロー博物館はあった。自転車でいけばパリ第五大学から10分くらいだったろう。時間があれば行きたかったがいけずじまいだった。まさかのそこからの展覧会か、少しだけ期待したけども、いかんせん作品数が少なかった。それに、ほとんどが習作であり、出点作品は「出現」「一角獣」がおもだったように思う。しかし、それでも日本に持って来てくれてありがとうというべきだろう。モローの代表作品は「出現」だからだ。
モローは、世紀末美術の前の世代であり、ポスト印象派の後の時代である。幻想的で魅惑的で誘惑的な絵は、オリエンタリズムの影響を多大に受けている。エジプト、ペルシャ、トルコ、日本、インドなど。日本の影響はあまり分からない。どちらかというとオスマン帝国を思い起こさせる。とはいっても、ロシアの画家にもにたような装飾を使っていた人がいたように思った。
モローは、二人の女性により大きな影響を受けている。その一人にはモローの人生を捧げている。母である。母である、ポーリーヌ・モロー(Pauline)は音楽好きな母親で、モローが母に当てた手紙などは母への愛情を強く匂わせるし、「パルクと死の天使」はモローの恋人であるアレクサンドリーヌ・デュルー(Alexandrine Durex)が亡くなった時に作られた作品であるが、そこに母の姿も重ねている。フランス、モロー美術館の館長はモローの教え子(モローは国立美術学校の教員だった)である、ジョルジョ・ルオーが初代を務めている。ちなみに教え子には他にマティスもいる。
ルオーは、この美術館でモローとその母親ポーリーヌの写真を向かい合わせに置いており、いかにモローが母親を大事にしていたかがよくわかる。当時は、結婚は芸術家をダメにすると言われており(あたかもうたい文句がファムファタルのようで笑える)、モローは純潔を守ったといえ、まるでキリストのように自分自身を神格化し、母親を聖母マリアのように同様に神格化する。母は1884才、モロー58才時になくなり、モローは手がけていた「キマイラ」の製作も途中で諦めてしまう。その後、アレクサンドリヌが1890年になくなり、モローは自分の知識を後世に伝えようと美術学校で教鞭を振るうこととなった。

モローの画家人生としては、あまり優等生ではなかったらしい。国立美術学校を退学しロマン主義、神話の世界に取り込まれたらしい。

Salome、サロメは**にそそのかされ、聖ヨハネの首をはねることを企てる。これまでも多くの画家がサロメを主題にしている。誰の絵が頭に浮かぶだろうか。ミケランジェロ・デ・ラ・カラヴァッジョ、ビアズリー、オスカーワイルド。ユディト(ホルフェルネスの首をきる)といつもごっちゃになる。ユディトとサロメは同一人物ではないのか。。。カラヴァッジョ、クリムトを想像してしまった。オスカーワイルドはその戯曲の中で有名だ。
出現はApperttion 1876はモローの作品の中でも最も有名なものの一つで、東洋の巫女のような魔術師のような服装をきたサロメやクロデ王の前で少し怯えているサロメなど様々だが多くは真横の像である。展覧会では一つだけ正面を向いたサロメがいた。Apprettionでは、中性的な男性とも取れるような筋肉質な女性であり、右手に花をもち、左手は首を指差している。ヨハネの生首からは血が滴り、生じる光は下の床に反射している。奥には王がいるがいたって平静であり、サロメにのみ見えているのだろうとオーディオガイドは推測していた。後ろの装飾は、モローが晩年に書き加えたらしく、ロマネスクを象徴するさん・ラザール聖堂、サンピネル聖堂、酸マルタン聖堂などをモチーフにしているらしい。このサロメは裸体で示されているが、腹を来ている場合には、透明感が溢れるショールに包まれていたりと写実的である。

Famme fatale [: 
 woman beguiling men to their destruction

Helen
オンファレ
デリラ
メッサリーナ
セイレーン
バテシバ
ガラティア
スフィンクス
レダ
セメレ
ディアネラ
エウロペ
クレオパトラ
サッフォー
エヴァ:ヘビにそそのかされて禁断の果実を口にし、人間の運命を変えてしまった張本人。紛れもなくファムファタルである。
そしてマリア!「神秘の花」
大きな百合の花の中にマリアがたたづんでいる。百合の花は、多くの殉教者(男)の上に成り立つ。これもファム・ファタルである。
モローにかかればみんなファムファタルという。これは不思議だけどおそらく展覧会がそういう趣旨なのだろう。
知らない人もいるけども、バテシバとエウロペは違うのでは、無意識的ファムファタルに反対だ。

シュルレアリストのアンドレ・ブルトンもモロー美術館に行って愛とは何か女性とは考えさせられたそうで、確かにその気持ちはよくわかる。
さて、ギリシャ神話でも読もう。