春琴抄を読みながら、僕は、オム・ファタルなんだろうと思った。
そういえば、僕は昔から一番になりたいわけではなかった。
理想はキングではなくナイトだった。
一番ではなく、自分のすべての才能を捧げることによってある天才を支えることができることが僕の希望だった。いつからかそんな気持ちはなくなった。
女性という異形なものは生まれからして明らかに自らではなく、故に彼女たちのように生きることは僕には不可能で、そこを比較対照し、この女より自分の方が聡明だとなどいうことは議論の意味がないと思っていた。
女は、やはり男の人生を狂わし得るし、狂わす権利があると思ってしまう。それはそのある女が気韻に満ちているからか。女に終生身を捧げたいと思う。
女にそれを知らしめることは、そのある女の人生に男の影を影響させることになるし、それが嬉しいと感じる男は、結局男自身の気位も高いのだろう。
帰り道に見た月は、寝待ち月だった。肉眼的に見えた月はすでに右側がかなりの部分欠けていたのだが、心の根底を見透かすと十六夜の方が理想的だったのだろう。現実は理想と寄り添うことはない。ほとんど顔を上げずに地平線上ほんのり少し上に見えた月。なぜかすごく綺麗だと思った。
欠けたるその月は、無欠よりも欠点がある方が人間味があって共感を得ることを示しているんだろう。