冷血 | CACHETTOID

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Art is long, life is short.
一人の人生で得ることのできる知識や経験は、ひどくちっぽけなものですが、僕らは巨人の肩の上に立つことにより、遥か彼方まで見渡すことができます。
文学、芸術、神経科学、哲学、思考などを自由に展開していくブログです。

トルーマン・カポーティ
冷血
 
 
カポーティの洗練された比喩表現がこの小説には少なかったように思います。
それは、彼が、これを機に文体が変わったことに関係があるのか。
これまでは、天賦の才で文章を作ってきた彼が、文章を作れなくなったのではないかと思うようでした。
もちろん、冷血は本当にあった事件を元に6000枚ものノートを資料としてカポーティが作成した(執筆したよりも作成したの方が表現がしっくりくる)ノンフェクション・ノベルだから、だから、比喩表現が少なかったのかもしれません。
 
彼が作った登場人物はどれも生きているように感じました。多くは死にましたが、家族という小さな単位がこの物語にも何度も何度も繰り返し出てきます。家族愛に満ちた登場人物は読んだ後、自分の中で生き続けるようです。
また、えっと、それぞれのシーンの描写が非常に細かい。死刑執行の雰囲気や感情が読者に流れてきます。どうしてもリアリストなので、その風景がリアルなものなのか、カポーティが作成したシーンなのかどうかという点が気にかかります。法律も、裁判所の流れも。
 
かなり長い小説だったので、一気には読めませんでしたので、内容の初めらへんも忘れてしまってます。
初めの伏線が回収されたことを残念ながらわかってない可能性もあります。それは読み返さないと。ウェルズを気にかけるシーンもあったけど、ウェルズが再登場した時にはすっかり忘れてました。覚えていられない。普遍的に言える「死刑」に対する姿勢についてを考えさせられるものですが、流れは死刑に向いているのでなかなかなぜ死刑をするのか考える余地が一度目にはありませんでした。
統合失調症を引き合いに出すのは、こういう小説では正直ありふれて陳腐でしょうか?それとも、現実だからなのか、冷血が初期作品で、その後の模倣作品を読んできただけなのか、その辺は僕にはわかりません。
 
あとは、関係のない流れが文章中にあることが気にかかります。空き缶拾いとか。それは必要だったの?読み返したいけど、どこにあるかわからない。
 
さて、書評を見よう。
よく勉強になった。
 
2017/11/18 追記
映画を見ました。全然冷血に対する印象が変わっています。トルーマン・カポーティを一読。