「この人、自信はすごいけど本当に頭がいいのかな…?」と感じた経験はありませんか?

ないでつね。
自信がすごいから頭がいいとか悪いとか、いちいち関連づけないんで昇天


 

ま、いますよね。鼻持ちならないインテリ気取りのクソ野郎って(;´∀`)


ふふふハート
自信と知性を関連づけるインテリ気取りのクソ野郎登場~流れ星

 

私としては、人を見下す人間に共通するのは「根拠のない自信」だと思いますよ。ただし誤解釈された言葉としての「根拠のない自信」です。

それは言えるやしの木

私はいい家の生まれだとか、先祖はお殿様がお辞儀をするほどすごい人だったとか、
ばあちゃんがどうとか、かあちゃんがどうとか、
そのへんの百姓とは格が違うんだ、みたいな牛

学位持ちであることを隠してたのにバレてしまったとか、

オースチン大学出てるけど、誤解を避けるためにプロフィール欄から外しましたとか、
書き出したらきりがないほどですわ泣き笑い

人を見下す人間に共通する根拠なき自信の根拠キラキラ
家柄、学歴、過去の栄光、

 

この「根拠のない自信」、おそらくはアドラーが流行ったころに「嫌われる勇気」が盛大に誤解釈されたのと同じぐらいに誤解されている言葉だと思っています。


誤解だよおにいさん看板持ち
「嫌われる勇気」が盛大に誤解釈されたのではない。

あの本自体が盛大な勘違いなのだ。

岸見の盛大な誤解釈を民たちが鵜呑みにしただけ。

鵜呑みにしたけど理解できない。
頭が悪いからではない。

「アドラー心理学は極めて難解です」と岸見先生が言ってんだから理解できなくて当前なのだグラサン
 

 

私は以前から自己啓発界隈で見られる「根拠のない自信」については「ただの妄想」と書いてきましたし、むしろ「ここまでできる」と自分に上限を設定してしまうリミッターになっているとも書いてきました。


それこそただの妄想うさぎ
根拠のない自信に「ここまでできる」などという上限はない。


自己啓発の世界ではよく「根拠のない自信を持て」と言われます。でも、あらためて考えてみると、この言葉には大きな誤解が含まれているんですよね。

 

大きな誤解はおまえだよヘビ
そもそもこの世界は巨大な幻想(誤解)であり、根拠のない自信(妄想)によって成り立っているといってよいのだ。

 

 

思うに「根拠のない自信」には二通りあるんだと思います。

二通りある時点で誤解トイプードル

 

 

ひとつは「誇大妄想狂的な自信」とでもいうべきもの。

山奥でワンワン吠えてるクソ野郎とでもいうべきものロップイヤー


自分の能力を実際以上に見積もったり、結果を保証されたものとして扱ったり、失敗を無かったこととして学習に変換できなかったり、自己評価が固定化したり。


根拠のない自信だからそれでオッケーチューリップ


逆に、自分の能力を実際以上に見積もらず、結果を保証されたものとして扱わず、失敗を有ったこととして学習に変換したり、自己評価がグラグラしたり。
根拠のなさ、1ミリもないではないかーやしの木

 

この「固定化された自己評価」が見られるのが「誇大妄想狂的な『根拠なき自信』」を持つ人の特徴であって、自己の像を固定化してしまうことは、畢竟、本来の可能性を探る機会を自ら手放す行為であり、すなわち「テメェでテメェにリミッターかけてやがる」状態以外のなにものでもないと私には見えます。


本来の可能性を探る機会を後生大事に抱えている時点でリミッターかかってますチュンねこへび

 

少なくとも彼らには「自分はこれぐらいはできる」というごく限定された枠内での思い込みだけがあって、「自分はどこまでできるのだろう」という実験の精神は見られない。


「自分はどこまでできるのだろう」という実験の精神こそ狂気チューリップ紫
自称天才科学者らは全員これで失敗してますチュンヒヨコ

 

もう一つは心理学で言うところの self-efficacy priming (自己効力感の点火)。

 

これを日本語に置き換えようと思うとふさわしい概念が無いために横文字を使っておりますが、これは、「やれば何か得るものがある」「やってみる価値がある」という、過程(プロセス)への確信に基づいたものです。

プロセスへの確信ってなんやろ驚き

 

ここには「私は成功するはずだ」という不確かな結果の保証はないし、むしろ「行動そのものが価値であり経験が資産となる」という考え方が中心にあります。


古臭い考え方だな。
昭和のおっさんの盛大な誤解釈ですわ雲
 

 

目指すところが「結果」「ゴール」ではなく「過程」なのだから、こちらは自分の成長を押さえるリミッターにはなりえません。


結果ではなく過程と設定している時点で成長を押さえるリミッタースター
最初から失敗を想定してんだよね。

不確かな未来に対する防御策みたいなもんだ。

 

さて、この二つがそれぞれその人にどういう影響を与えるかといえば、割と簡単に思えます。


ああ長い悲しい


頭の悪いやつは話が長い。
簡単なことをややこしくするのが大好き。
岸見版アドラー心理学の複雑さも実はこれですチュンちょうちょ


 

妄想型は、

「やれば成功するはずだ」と結果を確信し固定してしまいます。結果しか見ていないのでその過程で不測の事態が発生しても何の対処もできません。

そんなことはやってみなきゃわからない。

「やればできるはずだ」と結果を確信し固定しているなら、不測の事態が発生しても根拠なき自信で対処できるはずだパグ

 

また、結果を固定してしまうことによって「自分はこういう人間である」と自己像を固めてしまいます。「私は頭がいい」「私はシゴデキ」すべてその人の妄想が生み出した世界の境界線内に収まるちっぽけな話でしかありません。

「やれば何か得るものがある」「やってみる価値がある」という、過程(プロセス)への確信もまた、妄想が生み出した世界の境界線内に収まるちっぽけな話でしかありませんチワワ黒

 

 

テメェじゃ「ここまでやれる(はずの)私」に陶酔しちゃってるものだから、自らの限界を測ることも突破することもできなくなります。


それってあなたの感想ですよねコアラ

要するにオメエは「やれば何か得るものがあるはずの私」に陶酔しているってことだなUMAくん
専門用語でいうと他者への投影。

自分自身の内なる世界を他者の中に映し出してしまうのだ。

 

self-efficacy priming(点火型)の場合には、

結果の如何にかかわらず「やれば変わるかも知れない」という可変性を前提にしています。これは妄想型の固定化とは真逆のものです。

同じだよ。
結果の如何にかかわらず「やれば変わるかも知れない」という妄想に固定化しているだけ馬

 

「やれば変わるかも知れない」の中には結果はもちろん、「その過程(行動)の中で自らもまた変わる」という柔軟な自己観を含みます。だから不測の事態にも柔軟に対処できる。

じゃあ聞くけど、
おまえは3.11という不測の事態に柔軟に対処できたのか?羊
結果を固定してしまったからこそ、猪苗代に片足つっこんだんじゃないのかいクマムシくん

 

結果を固定しないということは「やってみればなにか得られる」「やってみなくちゃわからない」ということであり、自らの心に火を点けて行動を促します。


やってみもしなかった野郎がよく言うぜわんわん
誇大妄想以外の何ものでもないですチュンヒヨコ


 

けっきょく、コーチング界隈でよく言われるザツな言い方としての「根拠のない自信」は万能の処方箋ではないということ。


self-efficacy primingも万能の処方薬ではないスライム

 

特に妄想型の場合には、結果を固定し、自己像を固定し、成長を止めるリミッターとして働いてしまうもので、そういった何ができるわけでもないくせに人を見下すのだけは得意なイキりキチガヒみたいな人を生んでしまうのは、自己啓発やコーチング界隈において「根拠のない自信」という言葉を安易に使う人たちの説明がきわめてザツで表面的(すなわち無責任)であるがゆえのことであると思っています。


わははははー笑い泣き
教科書丸暗記組らしい思い方だな。
一次資料がないと何もできないノータリンえーん

何ができるわけでもないくせに人を見下すのだけは得意なイキりキチガヒめ宇宙人あたま

 

そもそも「根拠のない自信」という言葉を使う人たちの説明が極めて緻密で深層的で、誤解釈の余地が全くないほど完璧だったら、何かいいことあるんですか?うーん


むしろ自己啓発界隈は説明がきわめてザツで表面的(すなわち無責任)であることが極めて重要。

自己啓発は一を聞いて十を知る界隈。

おサルさんの調教とは格が違うんじゃーゲラゲラ
 

 

大事なのは、self-efficacy priming のような「プロセスへの確信」であって、それこそがリミッターを外すもの。つまり、必要なのは、「自分はできる」ではなく「やれば変わる」という姿勢なんですよね。この違いは小さいようでいて、人生の軌道を大きく変えるものであると私には思えます。

やりたきゃ一人でやってりゃいいのに、なにムキになってんの?熊あたま

もしや隠れコーチンでは?セキセイインコ青
 

 

なお、よし!やろう!と思って、やって変わんなかったとしても別に凹むこたぁねぇんですよ。むしろ世の中も人生もそういう場面のほうが多いんだからさ。それを学んで受け入れてゆく(自ら変化する)のもまた大事な経験であり資産だと思いますわ。


それそれトロピカルカクテル
「自分はできる」という根拠のない自信を持つと、何ができるわけでもないくせに人を見下すのだけは得意なイキりキチガヒになってしまう。

一方「やれば変わる」という姿勢を持つと、やって変わんなかったとしても、むしろ世の中も人生もそういう場面のほうが多いんだから凹まずに済む。
というケチな話赤ワイン

 

凹むことを怖れ、プロセスというちっぽけな宝にしがみつき、失敗をなかったことにするイきり野郎パフェ

 


「私はできる」と信じて頭がイッちゃってる誇大妄想な人たちの心だけポッキリ折れてりゃいいと思いますね。

あんた永遠に動物の域を超えられそうもないわねおすましスワン


そういう人たちは先に述べたように「誇大妄想狂的な根拠のない自信」から人を見下す傾向のある意地の悪い人たちですから、ポッキリ折れた彼らが今さら泣こうが喚こうが助けを求めようが …私は見なかったことにして背を向けます。

 





おぬしどんだけ弱虫なの?もぐもぐ

人を見下す傾向のある意地の悪い人たちから学んで受け入れてゆく(自ら変化する)のもまた大事な経験であり資産なのにお願い

 

テメエの都合でコロコロ変わる自己効力感、点火~晴れ