昨日は濃い1日になりました。


楽譜における

『共通認識』



共通で認識している。。。

と思っているだけで

実は、そうではない。


感覚の違いだけでなく

ある分野において


圧倒的実力差

ある場合は。


例・赤ちゃんはトイレを認識していない

→トイレトレーニング。

・適切な時期=認知可能な年齢もある。

・身体は自立歩行が出来ないと、一人は無理。

(そこ、トイレだから!とスマホ片手に示してもできない。)


師匠(せんせい)と自分の

実力差・認知力とOutput力を

自分の気分や

(忙しいとか疲れた・わかって欲しい)

希望を交えずに

(こうなりたい・こう見て欲しい)

現実を知ること=受け入れる。


先ずはそこから。


そこから先に

苦労も面白さも

あるのですが(⁠◡⁠ ⁠ω⁠ ⁠◡⁠)


大抵の挫折は

『私って何てダメ』


、、、もったいのうございます。


私はレッスン受けると

自分の脳内で

認識の翻訳作業が必要。


なので

その場でパパッとは無理。

なものも、多々ある。  


できることは

今すぐにできますので。


そういうのが

、、、楽しいのです。


幻。まぼろし

みたいなものが

好きなのです(⁠ㆁ⁠ω⁠ㆁ⁠)


ファンタジー。

カタカナのファンタジーは嫌(笑)


phantasie

幻想


✾✾✾✾✾


数々の

迷走&迷奏を繰り返し


ようやく(⁠ㆁ⁠ω⁠ㆁ⁠)

モーツァルトはオペラを…

云々の意味が

腑に落ちそうな予感。


それと楽譜の書き方。


今までとは別物に見える。

フォルテ、ピアノ、スタッカートが

喋りはじめる。


右手左手が

それぞれに喋る。

別人で(笑)


腕の呼吸が左右別なのに、

本体は一人(ピアノはそこが大変)

共通項は何でしょう?


ヒントは音楽だからこそあるもの


やはりモーツァルトは

天才だった。


✾✾✾✾✾


こんな書き方ですが(^_^;)

自分自身への翻訳だから。


わかり易く説明するのは

隠れ家に来た

生徒にしているので♪


そちらも香水同様に

使い分け。


✾✾✾✾✾


因みに昨日のレッスンでは

全く違う言い方(語句)

されています。


ですがその言いまわしだと

ピンポイントで細かい割に

全体が見えない。

私の力量では。。。

(楽譜の作曲家ごとの語法)


見えるようになれば

できるか?

いや、身体ができない。 

大体はココで四苦八苦するが

私は身体は苦労しないほう。



身体ではなく

全体が見渡せるか、否か。 

が重要です。


色々なケースが

あるので

相性があるのでしょうね。


✾✾✾✾✾


これって

こういうことですよ。

 

ということを

わかり易く説明して、 

いい言葉に置き換えても


実は残念ながら

デキナイ。


わかったような気には

なれるけど。。。


生意気にスミマセンm(_ _)m 


✾✾✾✾✾


今日もまた

ピアノを弾きに(⁠ㆁ⁠ω⁠ㆁ⁠)

個人のレッスンへ。


私はこの師匠(せんせい)が

大好きです。


昨日の疑問を

レッスン前に自分で書いて

言語化して

質問してきました。

レッスンで弾きながら。


モーツァルトとベートーヴェン

休日〆は

音楽で自分を満たし



明日から

生徒に会います♪



どんな表情で来るかな

と毎回思いながら、、、

入って来る様子を見ている。


彼ら彼女らは

何を見ているだろうか。。。