高崎に戻り、JRで群馬八幡駅へ。

 

そこには、河内源氏ゆかりの八幡様が鎮座しています。

 

<旅の行程>

1日目:富岡→下仁田

2日目:富岡→山名→高崎

3日目:妙義山→桐生

 

駅から住宅街を抜けて15分程、街道に出ます。

 

その先に現れる小高い丘と門と社殿。

 

この風景が堪らなく好き。

 

◆上野国一社八幡宮◆

*読みは"コウズケノクイッシャハチマングウ"

 

コンクリートの建物が無かった時代、見晴らしの良い平野の先の丘に鎮座したお社が道中の目印にもなっていたのだろうと想像してみたり。

 

神門(旧仁王門)

(群馬県指定重要文化財)

 

弘化2年(1845)の建立の神門。

 

かつて、神仏習合の一大拠点だった事もあり、境内にはその面影が色濃く残っています。

 

 

仁王像は平成27年(2015)に復興されました。

(前回訪問時は提灯が吊るされていました)

 

 

門をくぐり、一気に丘を上ります。

 

 

鳥居から振り返る。

 

向かいの山は少林山達磨寺がある観音山丘陵。

 

八幡宮と禅寺が向かい合っているというのが興味深い。

 

随神門

(群馬県指定重要文化財)

 

宝永5年(1708)の建立です。

 

まるで達磨を連想させる赤い屋根が青空に映えます。

 

神楽殿

(群馬県指定重要文化財)

 

享保12年(1727)に建立され、昭和43年(1968)再建されました。

 

高崎市指定無形民俗文化財の大大御神楽では、ここで神楽と巫女舞が演じられます。

 

鐘楼

(群馬県指定重要文化財)

 

天明4年(1767)の建立で、釣鐘は昭和54年(1979)に再興されたものです。

 

拝殿

(群馬県指定重要文化財)

<御祭神>

誉田別尊

息長帯姫命

玉依姫命

 

天徳元年(957)、河内源氏の祖・源頼信が石清水八幡宮から勧請して創建されました。

 

以降、源頼義・義家・頼朝を始め、新田氏や足利氏、武田氏といった関東の源氏一門から厚い崇敬を受け、徳川幕府からも加護を受けた、関東を代表する八幡様。

 

かつては、碓氷八幡宮や板鼻八幡宮と呼ばれていたそうで、現在は"八幡八幡宮"や"八幡の八幡様"といった通称で呼ばれ親しまれています。

*この場合の"八幡"の読みは"ヤワタ"

 

 

現在の社殿群は宝暦7年(1757)、御鎮座800年記念で再建されたもの。

 

 

拝殿から望む。

 

両側の銅製灯篭は高崎市指定重要文化財。

 

理屈では無く、境内の空気や目に映る風景が無性に好きな神社。

 

11年振りのお参りも、心の底から湧き出る喜びで満たされました。

 

 

拝殿内には今も護摩堂があるそうです。

 

 

鄙びた天井絵は古刹の風情。

 

拝殿脇から社殿奥へ進みます。

 

幣殿

(群馬県指定重要文化財)

 

神仏習合時代を偲ばせる花頭窓。

 

御本殿

(群馬県指定重要文化財)

 

往時は極彩色で包まれていたであろう御本殿。

 

細かい意匠に見惚れ圧倒されます。

 

それを手が届くほどの間近で拝める幸せ。

 

 

こちらにもTHE群馬神社な裏神様。

 

 

この色褪せた姿も侘び寂び感があって良き。

 

御本殿脇には境内社が並んでいます。

 

東照宮

(御祭神:東照権現)

(群馬県指定重要文化財)

 

地主稲荷神社

(御祭神:宇迦御魂神)

(群馬県指定重要文化財)

 

上野国一社八幡宮の元宮とされるお稲荷さん。

 

八幡宮創建以前から高台から村人を見護っていたのでしょうね。

 

 

ぐるりと巡って表に戻ります。

 

境内の反対側へ。

 

天満宮

(御祭神:菅原道真公)

(群馬県指定重要文化財)

 

享和元年(1891)建立の旧本地堂。

 

明治時代の神仏分離令により、天満宮となりました。

 

前回参拝時、屋根は赤い鉛板でしたが、一昨年、檜皮葺風の銅板に改修されました。

 

御朱印

 

八幡宮の眷属、鳩が描かれています。

 

11年越しの再訪が叶い、感無量でした。

 

またいずれ、違う季節に…

 

神社前のバス停から達磨寺へ向かいます。