奈良県漫遊最終日。

 

橿原神宮前から7時台のバスで向かったのが、この漫遊の最初の記事、岡寺でした。

 

岡寺を後にしたのが9時半。

 

明日香に残る古墳へ向かいます。

 

<旅の行程>

1日目:奈良

2日目:西ノ京→斑鳩→奈良

3日目:天理→三輪→橿原

4日目:橿原→明日香→五条

 

門前町を抜けて歩くこと、10分程。

 

牧歌的な風景が広がる山の裾野を上がっていくと、その古墳はあります。
 

◆石舞台古墳◆

(国指定特別史跡)

*拝観料¥300

 

花崗岩の巨石で築かれた横穴式石室が目の前に。

 

飛鳥時代、7世紀初期の築造とされる、国内最大級の方墳です。

 

悠久の時を超えて、自分がこの地に立っているのが少し信じられない。

 

 

当初は盛土がされた墳丘でしたが、土が失われて、石室が露出しているという独特の景観。

 

それが一層、古代浪漫を感じさせます。

 

 

被葬者は、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父・蘇我馬子という説が有力視されています。

 

「日本書紀」には、"推古天皇34年(626)に大臣(蘇我馬子)を桃源墓に葬る"との記述があり、異説はあるものの、明治時代以降は蘇我馬子の墓説が主流となりました。

 

盛土が除かれて石室が露出しているのも、蘇我氏への懲罰という説を唱える方もいるそうです。

 

 

昭和初期の発掘調査により、石室の周辺に空堀や外堤がある事が判明し、復元と整備がされました。

 

 

復元された空堀。

 

 

石室は南西方向に開口しています。

 

 

中の玄室は奥行7.7m、幅3.5m、高さ4.7mです。

 

 

約30個もの石から形成されていて、その総重量は2,300t以上にもなります。

 

 

隙間から射し込む明かり。

 

石は数km離れた多武峰の麓から運ばれたそうですが、輸送は近くを流れる川を使ったとしても、どうやって、天井にこの巨石をバランスよく乗せたのだろう?

 

 

石室内には表に繋がる溝があります。

 

排水をしていたようです。

 

 

空堀越しに。

 

 

築造当時の想定図を見ると、巨大な方墳であった事が窺えます。

 

ただ、悲しいかな、発掘調査がされた頃には古墳は盗掘尽くされていたそうで、僅かな土器類しか出土しなかったそうです…

 

 

角から古墳を望む。

 

かつて、この明日香村に都が置かれた飛鳥時代。

 

物部氏を討って台頭し、半世紀に渡り権力を振るった蘇我氏。

 

その蘇我氏も"大化の改新"で滅び、時代は藤原氏の手中に収まることとなっていく…

 

 

そんな政変が続いた明日香の地も今は昔。

 

ただただ長閑なにっぽんの原風景が広がっています。

 

御朱印

 

最近は何でもかんでも御朱印ですね。

 

と言いながら、迷わず拝受してしまったw

 

明日香の夢市・農村レストラン夢市茶屋

 

石舞台古墳に隣接したお土産処です。

 

ここでお土産を購入して、ついでに小腹が減ったので、古代米の手巻き寿司。

 

 

バスで橿原神宮前駅に戻ります。

 

ところで、

 

岡寺から石舞台古墳へと続く、門前の街道が重伝建級の雰囲気でした。

 

 

規模は数10mではあるものの、江戸の世に時空移動でもしたかの様な錯覚。

 

 

次回、奈良県漫遊最終話。

 

重伝建で〆です。

 

 

奈良県漫遊2024.5第1話〜紫陽花の岡寺