東大寺。
修学旅行含めて、一度は訪れているのでは?という、誰もが知る巨大寺院。
そんな東大寺に11年振りのお参りです。
大仏殿と二月・三月堂の二編で送ります。
◆東大寺◆
(世界遺産・国指定史跡)
南大門
(国宝)
8割は外国人観光客?
外国人観光客と鹿が支配するマルチバースに、一人紛れ込んだ異邦人の気分…
創建時建立の南大門は平安時代に台風で倒壊してしまい、現在の南大門は正治元年(1199)の再建。
その高さ25m超に及ぶ、国内最大級の門。
木造金剛力士像(阿形像)
(国宝)
建仁3年(1203)、運慶・快慶が中心となって造ったもので、高さ8.4mの巨大像。
まさに仁王像の最高位。
中門
(国指定重要文化財)
素木の南大門に対して、赤味がかった楼門。
享保元年(1716)の再建です。
門から境内を囲む回廊(重文)が延びています。
*拝観料¥800
西側回廊から中へ入り、参道へ。
その迫り来る巨大さに圧倒されます。
大仏殿(金堂)
(国宝)
<由緒>
華厳宗大本山 東大寺
創建:奈良時代前期(740年頃)
御本尊:盧舎那仏
開山:良弁
開基:聖武天皇
聖武天皇が幼くして亡くなった皇子の菩提を弔う為、神亀5年(728)、山房(金鐘寺)を建立します。
そして、天平13年(741)に国分寺建立の詔が発せられると、その翌年、金鐘寺が大和国国分寺兼総国分寺・金光明寺となります。
これが東大寺の前身です。
大仏鋳造が始まった天平19年(747)頃から東大寺の寺号が用いられるようになったそうです。
その後、2度の兵火により焼失し、現在の大仏殿は宝永6年(1709)の再建。
金銅八角灯籠
(国宝)
創建時に鋳造された、高さ4.6mの巨大灯籠。
火袋部分の扉には、獅子や楽器を携えた菩薩(音声菩薩)の装飾が彫られています。
高さ49mという、クィン・マンサ(NZ-000)を軽く超える大きさ。
桁行は創建当時の11間(約88m)から7間になったものの、今も世界最大級の木造建築です。
上を見上げて呑み込まれる…
上層の観相窓が年2回開けられ、大仏様の御顔を拝めるそうです。
*正月と冬の"なら瑠璃会"の2回
それでは、堂内へ。
銅像盧舎那仏坐像
(国宝)
ご存知、"奈良の大仏"です。
天平勝宝4年(752)に開眼供養会が行われました。
その後、治承4年(1180)に平重衡の兵火により伽藍が焼失し、永禄10年(1567)には三好・松永氏による東大寺大仏殿の戦いにより再び焼失の憂き目に合います。
ところで、
東大寺に火を放った悪人としてのイメージが強い松永久秀ですが、史実とは異なるようで、全ては織田信長に嫌われたが故、そう広められたのだとか。
*諸説あり
今も昔も噂が事実になる世…?
やはり、ジオング(MSN-002)は大仏がモデルだと再認識。
大仏殿も明治晩期と昭和後期に解体や修理がなされ、大仏様を今も護っています。
(鎌倉大仏は野晒しのまま…)
台座の蓮弁に描かれた蓮華教の世界。
木造虚空像菩薩坐像
(国指定重要文化財)
宝暦2年(1752)の造立です。
廣目天像
西北隅で睨みを利かせています。
(東北隅には多聞天像)
東大寺旧伽藍模型
創建当初の境内の1/50模型。
明治42年(1909)の日英博覧会用に制作されました。
東西の塔は100m級だったそうです。
背中のシールド?がカッコ良い。
一体、何基のファンネルを搭載しているのだろう?
(キュベレイ10基、クィン・マンサは30基)
木造如意輪観音坐像
(国指定重要文化財)
元文3年(1738)の造立です。
手前にあるのは、8本足のアゲハ蝶で有名な銅製花瓶。
科学も医学も発達していなかった時代。
疫病や飢饉、戦乱…
全てを御仏の救済に託した人々。
その結晶のような東大寺。
続いて、
中門を出て、東へ向かいます。
手向山八幡宮
(主祭神:応神天皇・姫大神・仲哀天皇・神功皇后)
*読みは"タムケヤマハチマングウ"
東大寺創建に当たって、八幡総本宮・宇佐神宮から勧請された東大寺の鎮守です。
神輿で御祭神を分霊した事が、神輿やその神事の起源と言われています。
楼門・回廊
(奈良県指定有形文化財)
閉門日だった為、参拝は叶わず。
代わりに11年前の参拝時の写真を載せます。
御本殿
(奈良県指定有形文化財)
*2011年参拝時の写真
次回、三月堂・二月堂の記事です。