広島県漫遊のおまけ。
各地方に根付くご当地ラーメン。
広島県東部にも、その名を全国に轟かせるご当地ラーメンがあります。
尾道ラーメンです。
昭和初期、中国出身の張氏が青竹で麺を打ち、露店で売り出した支那そばが起源と言われています。
当時は牛骨と豚骨の白濁スープだったそうです。
そして、昭和22年(1947)、あの「朱華園」が誕生します。
その後、昭和30年代に鶏ガラの醤油スープに背脂ミンチという、現在の尾道ラーメンのスタイルが確立して県東部に定着、90年代のご当地ラーメンブームで一気に全国区となります。
それでは、
尾道ラーメンの風景を思い出と共に綴ります。
中華そば 朱
平成元年(2019)に衝撃の閉店をした名店「朱華園」の創業者、朱さんの奥様と娘さんがその味を引き継ぎ、新たに始めた中華そば店です。
「朱華園」跡地から徒歩すぐの立地です。
中華そば
THE尾道ラーメンのルックスに心躍ります。
あっさり優しく、老若男女に愛されそうな味わい。
「朱華園」跡地にも寄りました。
旧朱華園
*2019年閉店
80年代に台湾出身の父・朱氏から店を受け継いだ檀上氏は、"尾道ラーメン"ブームに乗せられることなく、独自の"中華そば"を孤高の味に昇華させ続けてきましたが、70歳も近付き、体調が思わしくなく、閉店を決意したそうです。
"継ぎ手もいないし、技を伝承する余力もない"
"皆さんの記憶の中の味で良いと思う"
と、後のインタビューで語っていました。
中華そば
@2012.11の写真
私が「朱華園」の味と出会ったのは20代の頃。
大学時代の友人が尾道出身で、連れて行ってもらった時。
その日本人の琴線に突き刺さる、鶏ガラ濃厚醤油スープと背脂の甘味の虜になりました。
丁度、90〜00年代に"尾道ラーメン"を謳うお店が首都圏にも続出して、"あの味"に出会えるかと食べに行ったものでしたが、どれもハズレで、「朱華園」の再訪に恋焦がれる日々でした。
そして、12年前に念願の再訪。
唯一無二の味との再会に感動しましたが、それが最期に…
(結局、名物の焼きそばは食べず仕舞い)
推しは推せる時に…ですね。
尾道ラーメン しょうや
旧朱華園と同じ通りに2年前にオープン。
尾道ラーメン(背脂トッピング)
京都ラーメン店で修行した方が営むそうで、新福や第一旭を思わせるブラック系ラーメン。
京都ラーメンmeets尾道ラーメンな味わい。
ヤキメシ
ヤキメシもあり、完全に京都ラーメン店風情w
進化と捉えるか、邪道捉えるか、それぞれの解釈や評価があると思いますが、歴史とはそういうものだし、その中からまた新しい巨星が生まれる事を期待します。
尾道で「朱華園」の味には出会えなかったけれど、お隣の福山で素晴らしい一杯に出会いました。
尾道ラーメン 一丁
創業平成9年(1997)の人気店。
ほぼ福山駅前という立地。
ラーメン
甘口醤油と鶏ガラの味わいに背脂の甘味。
香り豊かな細麺。
これぞ尾道ラーメン最高峰の味。
店主は中華料理店出身で、独学で尾道ラーメンを学んだそうです。
店主やスタッフの方々は常連から観光客まで、温かく接していて、行列店にも関わらず、店内にはどこかまったりな空気が流れていました。
店主の広島弁(福山弁?)がとても優しい響きで、お人柄が伺えます。
そこも人気なのでしょうね。
揚げ餃子
一口サイズの揚げ餃子も美味。
(ビールに最高に合うやつ)
そして、
味の虜になってしまった私は最終日、福山駅での新幹線待ちの合間に2日連続訪問。
チャーシューメン
チャーシューも味わい深くて最高です。
メンマが薄味で、バランスを取っている感じ。
今後、広島を訪れる時は新幹線で福山下車で、一丁で一杯、これ一択ですね。
今回はフラれてしまっのですが、竹原にも尾道ラーメンの名店があります。
太華園
*2012.11の写真
竹原駅から徒歩15分程の立地です。
中華そば
*2012.11の写真
次回は早仕舞い前に行かなければ。
以上、
備後地方が誇るラーメンの風景でした。
これにて、広島漫遊のお終い。