広島漫遊3日目。
福山総鎮守の八幡様にお参りです。
福山城の北側、武家町風情の通りへ。
外濠の様な川に架かる石橋から境内に入ります。
◆福山八幡宮◆
神門から続く参道。
後方に見えるのは松廻尾山。
この八幡様が面白いのは、二社の八幡宮が合祀されることなく、境内に並列して鎮座しているところ。
神門も鳥居も社殿も、まるで左右対称の様に、東西に並んでいます。
行きは東から。
お馴染み鳩の"八"の扁額。
木々に囲まれた石段を上がり神門へ。
東随神門
東御宮 拝殿
<御祭神>
應神天皇
比賣大神
神功皇后
東御宮はかつて、惣堂八幡や延広八幡と呼ばれ、平安時代後期、宇佐神宮からの勧請と伝わります。
創建当時は今の福山城址に祀られていました。
築城後の天和3年(1683)、現地に遷座されて、以降、"東の宮"と呼ばれるようになります。
東御宮 御本殿
社殿は遷座時に造営されたものです。
入母屋造の檜皮葺屋根で、御本殿側面には禅宗様の花頭窓が設けられています。
東御宮から望む。
東御宮・合祀殿・西御宮が連なっています。
合祀殿(中央拝殿)
昭和59年(1984)に建立されたもので、御本殿に東西の二社の御祭神が合祀されています。
合祀殿建立までは、中央に初代福山藩主・水野勝成を祀る聡敏神社が鎮座していました。
煌びやかな装飾。
中央拝殿の前に設けられた舞台。
舞台の下は防火用貯水槽になっているそうです。
西御宮 拝殿
<御祭神>
應神天皇
比賣大神
神功皇后
かつて、若宮八幡や野上八幡と呼ばれた西御宮は室町時代中期、鶴岡八幡宮からの勧請とされ、東御宮と同じく、現在の福山城址に祀られていました。
現地に遷座された両社は福山総鎮守として崇敬を集め、昭和44年(1969)に法人格が統合され、福山八幡宮が誕生しました。
3機の戦車かモビルスーツが並んでいるかの様な、痺れる風景。
西御宮 御本殿
東御宮よりも鮮やかな装飾。
これは、平成21年(2009)に屋根の葺替えと彩色復元の改修がされた為。
(東御宮の改修もいずれ?)
社殿裏に回ります。
聡敏神社
(御祭神:水野勝成公)
*読みは”ソウビンジンジャ”
福山藩初代藩主・水野勝成を祀ります。
中央拝殿建立時に社殿後方に遷されました。
徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成。
その家康の下で数々の戦功を上げた猛将として知られ、宮本武蔵直伝の剣術奥義を会得、"鬼日向"の異名で恐れられた人物です。
放浪癖でも知られ、行く先々で多くの逸話を残しました。
また、関ヶ原の戦の敗将、石田三成や小西行長らが大坂を引き回されていた時、笠を被せる人情厚き人物でもあったようです。
(小西行長は水野勝成の元主君)
両社を同等に並べて祀ったのも、水野勝成ならではの配慮だったのでしょうね。
帰りは西参道から。
西随神門
社殿も神門も同じ造りというこだわり。
西の鳥居の鳩の"八"は親子風?
東参集殿
参集殿も東西それぞれに。
西参集殿
かつて、町人の氏神とされた東の八幡様と藩士の氏神とされた西の八幡様。
藩主により同じ地でひとつとなった両社。
そこに先祖から継承される福山人の人柄を感じた…そんなお参りでした。
御朱印
次回、
八幡様と並ぶ艮神社の記事を送ります。