佐賀が生んだ偉人、大隈重信。

 

総理大臣を2度務め、早稲田大学を創設。

 

また、新通貨"円"を導入し、国内初の鉄道敷設や太陽暦の導入等、様々な偉業を成しました。

 

そんな偉人の生家が今も残されています。

 

城の東、住宅街の中に武家門風の入口があります。

 

◆大隈重信旧宅・大隈重信記念館◆

(国指定史跡・国登録有形文化財)

*入館料¥330

 

敷地内に生家と記念館が建っています。

 

大隈重信記念館

(国登録有形文化財)

 

昭和42年(1967)、大隈重信生誕125周年を記念して建てられました。

 

設計は早稲田大学名誉教授の今井兼次。

 

 

コンクリートの建造物に柔らかさを感じさせる、カーブを描いたデザインが面白い。

 

大隈重信候之像

 

大隈重信は天保9年(1838)、この地で生誕し、大正11(1922)に東京早稲田で没します。

 

上級藩士の家柄だったそうです。

 

記念館に入ると、まるで宮殿の様な階段が出迎えてくれます。

 

*館内一部撮影禁止

 

1階には、大隈重信の偉業を辿る資料が展示されています。

 

 

展示物で驚いたのがこの義足。

 

明治22年(1889)、大隈重信が外務大臣の時、玄洋社の一員が放った爆弾により右足を失い、以降は義足の身となります。

 

これは、大隈重信による不平等条約の改正案に不満を抱いた事を起因とした自爆テロで、大隈重信遭難事件として知られています。

 

玄洋社は大アジア主義や愛国を説く政治結社で、日本初の右翼団体とも言われます。

 

義足も事件の事も知らなかった私…

 

尚、記念館の左壁に開いた穴は、足を失った事を表現しているそうです。

 

 

そんな時代ゆえ、刀が仕込まれた杖を携帯していたそうです。

 

 

大隈重信が使った硯。

 

ただ、字が達筆でなかった事を理由に、勉学は全て暗記、政治家時代も関連文書は全て口述筆記と、本人は生涯を通じて字を書かなかったそうです。

 

 

大隈家が所蔵していた七宝焼の巨大花瓶。

 

 

赤いガウンは衆議院銀や早稲田大学総長を務めた高田早苗より贈られたもので、大隈重信は生涯を通じて愛用したそうです。

 

 

ガウンの色をイメージしたステンドグラス。

 

 

明治15年(1882)、東京専門学校を創立し、大正9年(1920)に早稲田大学となります。

 

因みに、福沢諭吉は当初、大隈重信を"生意気な政治家"と嫌っていたのだとか。

 

後に意気投合なし、慶應義塾への融資や福沢諭吉の炭鉱売却の仲介を行いました。

 

大隈重信旧宅

(国指定史跡)

 

生家は江戸時代後半に建てられた武家屋敷。

 

 

武家屋敷らしく、質素な造り。

 

 

大隈重信はここで4人姉弟の長男として生まれ、幼名は八太郎を名乗りました。

 

"八"は産土神の龍造寺八幡宮から取られたもの。

 

 

2階に勉強部屋があるそうです。

 

内部見学も受付に申し出れば可能です。

 

 

佐賀が生んだ偉人、大隈重信。

 

大分が生んだ偉人、福沢諭吉。

 

九州勢の活躍がその後の日本の英才たちを生み出したのかと思うと、九州こそが近代日本の中心なのかも?と思えたりして…

 

早稲田大学とは程遠い、MARCH卒の軟派な私ですが、とても感銘深いひと時でした。

 

早慶よ、永遠に。

 

城址の東から北上、商家建築を巡ります。

 

 

福沢諭吉旧居@2020.1