会津武家屋敷からバスで数分。
白虎隊十九士の悲劇の地に着きます。
◆飯盛山◆
標高314mの飯盛山。
日本武尊の伝説も残る信仰の山ですが、戊辰戦争における会津戦争では、十代半ばの少年たちで編成された白虎隊が中腹で自刃した事で余りにも有名。
急勾配な石段の脇を走る有料エスカレーター。
*利用料金¥250
木々に包まれた石段を登り切ると、線香の香り漂う広場に着きます。
白虎隊十九士の墓
白虎隊は会津藩が編成した少年兵部隊。
新政府軍の猛攻により飯盛山へ落ち延びた白虎隊でしたが、戦火に包まれた城下を見て鶴ヶ城が落城したと見誤り、もはやこれまでと自刃しました。
現代ならば、青春が始まったばかりの年頃の少年が戦争に巻き込まれ、そして、自ら命を断つ…
壮絶な幕末、軟弱な現代。
文字通り命を賭けて戦った子供達がいた事を忘れずに、今日の幸せに感謝して一瞬々を生きたい。
ローマ市寄贈の碑
大正17年(1928)、イタリアのムッソリーニによる寄贈です。
当時の政治的背景あれど、独裁者にも人を悼む気持ちがあったか…
まだ紅葉の残る石畳の参道を進みます。
高台から望む会津若松の町並み。
白虎隊十九士自陣の地
遠く鶴ヶ城を見つめる少年の像。
唯一、一命を取り留めた飯沼貞吉の手記が近年発見され、その内容から、白虎隊が鶴ヶ城落城を誤認して自刃したという定説は否定されているそうです。
鶴ヶ城に赴くか敵軍に突入するか、いずれにせよ、敵に捕まり生き恥を晒すくらいならば、武士として自刃する選択をしたという事です。
どちらの説も壮絶な決断である事に変わりはないですね。
中央の森林が鶴ヶ城。
真ん中の白い柱の後ろに天守が見えます。
帰りは右手の緩やかな坂から。
坂を降りると、会津が誇る名物建築。
さざえ堂(旧正宗寺三匝堂)
(国指定重要文化財)
寛政8年(1796)、正宗寺の仏堂として建立。
明治の廃仏毀釈により正宗寺は廃寺となり、以降、さざえ堂は個人の所有となります。
*拝観料¥400
特殊な螺旋構造となっていて、行きも帰りも他者とすれ違う事がありません。
最上部に到着。
折上げ鏡天井が侘び寂びと荘厳さを醸します。
太鼓橋を渡り、下りへ。
下りの途中、隙間から見える上り側。
その構造も凄いのですが、多くの人が上り下りするにも関わらず、破損もせず、重文であり続ける木造建築の頑丈さに驚きです。
宇賀神堂
(御祭神:宇賀神)
堂内に白虎隊十九士の霊像が安置されています。
戸ノ口堰洞穴
猪苗代湖の水を会津地方に引く為に掘られた、長さ150mの洞穴です。
戸ノ口の戦いで敗走した白虎隊がこの洞穴を抜けて、飯盛山中腹へと至りました。
厳島神社と子育て地蔵尊。
苔生す弁財天像。
悲劇の山を癒しておくれ。
飯盛山を後にして、本陣跡に向かいます。