会津若松の町並みでひと際目立つ建築。

 

黒漆喰の重厚な土蔵建築。

 

町屈指の豪商だった福西家の店蔵です。

 

◆福西本店◆

(国登録有形文化財)

 

正面の店蔵は大正3年(1914)の築造で、お土産処&セレクトショップになっています。

 

左の袖蔵は明治19年(1886)の築造。

 

*入館料¥500

 

内部拝観は店蔵の脇から。

 

 

右が店蔵部分。


左手の母屋が有料部分です。

 

母屋

 

ガラス張りの障子がモダン。

 

福西家は江戸中期に奈良から移住し、綿問屋として財を成します。

 

代々、"伊兵衛"を襲名し、現在13代目。

 

会津若松のホテル大阪屋や福西惣兵衛商店といった分家も輩出しました。

 

母屋蔵

 

倉庫兼作業場だった母屋蔵。

 

赤松を使った贅沢な造りで、現在はギャラリーとして活用されています。

 

 

艶やかさの極み。

 

現在は、木材保護の為に化学塗料を使用しているそうです。

 

 

栄華を極めた福西家ですが、戊辰戦争により衰退してしまいます。

 

会津藩への貸付も不良債権と化し、戦火を避けて疎開をしている内に家財は荒らされ盗まれ…

 

座敷蔵

 

母屋蔵の隣りに建てられた三十畳の座敷蔵。

 

当主の生活の場でした。

 

明治19年(1886)の築造です。

 

 

床の間には銘木の黒柿が使われています。

 

 

襖の引手も素敵です。

 

母屋

 

座敷蔵の正面に設けられた8畳程の広間で、控えの間的な感じ?

 

坪庭に面していて、開放感のある風情。

 

仏間蔵

 

正面の袖蔵が仏間蔵になっています。

 

戊辰戦争で衰退した福西家ですが、7代目の妻・イネと8代目夫婦が復活させ、明治7年(1873)頃には、綿の販売権を取り戻し、再び隆盛の時代を迎えます。

 

仏間蔵には、福西家にとっての中興の祖とも言えるイネの肖像画が掲げられています。

 

 

廊下を伝って母屋の奥へ。

 

離れ(数寄屋)

 

昭和5年(1930)築造の離れ。

 

11代目の新婚生活用に建てられました。

 

続いて、2階に上がります。

 

離れ(二階)

 

昭和期らしい近代センスを感じる欄間。

 

 

竹に黒柿…昭和数寄屋造りな床の間。

 

母屋(二階)

 

盆暮れ等に一族が集う"ハレの場"だった広間。

 

3つの広間を合わせた広さは三十三畳。

 

欄間装飾がモダンかつ、どこかユニークなデザインで面白い。

 

 

パリ万博にも出展された寄木細工の飾り棚。

 

その精巧、且つ凝った造りに目が釘付け。

 

文化財レベルの芸術品が普通に置かれているのが凄い…ショーケースに入れた方がいいかも?

 

 

シンプルながらも気品溢れる広間。

 

茶室

 

2階の奥には茶室も完備。

 

戦後、事業が停滞し、昭和期には布団店を営んでいたそうですが、平成期に事業を畳む事になります。

 

そして、地元の財界人たちが会社を立ち上げて福西本店を買い上げ、平成18年(2006)にリニューアルオープンして今に至ります。

 

激動の歴史の生き証人でもある名建築。

 

それを継承して観光名所にする辺りに、会津人の郷土と歴史への誇りや愛を感じます。

 

福西家に残る絵画なども季節毎に模様替えするそうで、係の方々もとても楽しそうに語っていました。

 

また違う季節に訪れてみたい。

 

店蔵

 

残念ながら、店蔵2階は見学を逃しました。

(展示会の準備をしていた感じだったので)

 

 

赤べこさんを購入。


和紙で固めた風の造りと色合いに一目惚れ。

 

次回、町並み記事後編です。