高山稲荷神社からタクシーで東へ。

 

20分程で漫遊最後の地、津軽平野の中央に位置する町、金木に着きます。

*読みは"カナギ"

 

ここは太宰治の故郷で、小説「津軽」の冒頭で、"これという特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町"と形容された町です。

 

<旅の行程>

1日目:八戸→浅虫温泉

2日目:青森→弘前(百沢温泉)

3日目:弘前(岩木山神社)→弘前

4日目:五所川原→金木

 

そこには贅を尽くした豪邸が建っています。

 

◆ 太宰治記念館「斜陽館」◆

(国指定重要文化財)

*入館料¥600

 

太宰治の父で、衆議院議員も務めた県下有数の大地主、津島源右衛門の邸宅として明治40年(1907)に建てられました。

 

設計は津軽の生んだ匠、堀江佐吉。

 

青森産ヒバをふんだんに使った木造2階建で、庭園を入れた広さは680坪という大豪邸。

*680坪=体育館2個分超

 

 

煉瓦塀に破風屋根の和風建築。

 

太宰治(本名:津島修治)は明治42年(1909)にここで産まれ、青年期まで過ごします。

 

昭和25年(1950)、太宰治が亡くなると、町内の企業が買取り、旅館「斜陽館」を営みますが、バブル崩壊の頃から経営が悪化し、平成10年(1998)に町営資料館として再スタートを切りました。

 

土間

 

長通りと呼ばれた通り土間。

 

往時、秋には米俵が積み上げられたそうです。

 

座敷

 

主屋の中心には4間からなる座敷があって、襖を外すと、63畳の大広間になります。

 

仏間

 

浄土真宗らしい、豪華絢爛な仏壇。

(津島家は浄土真宗東本願寺派)

 

仏壇は京都の仏具店に特注したもの。

 

 

縁側から望む庭園。

 

茶の間

 

和の風情溢れる囲炉裏の間。

 

刻を刻み、時を見つめてきた壁の大時計。

 

座敷

 

4間の奥の小座敷とも呼ばれた広間。

 

110年超を経ても、歪む事なく輝く柱や天井。

 

 

広間を振り返る。

 

常居

 

広間の隣りには家族団欒の間。

 

小間(太宰治誕生の間)

 

常居の隅の襖の先を入ると、小さな居間。

 

 

ここで太宰治は産まれ育ったそうです。

 

 

部屋の片隅には大富豪の証、電話室。

 

板の間

 

囲炉裏の板の間の横には台所。

 

 

屋根は洋風小屋組、いわゆる、トラス構造。

 

板の間の脇から奥へ進むと土蔵があります。

 

文庫蔵

*内部撮影禁止

 

津島家や太宰治に関する資料室です。

 

太宰治は幼少期、蔵の前の石段で子守タケの昔話を聞きながら、ご飯を食べるのが好きだったのだとか。

 

米蔵

 

2000俵を収蔵出来た蔵。

 

敷地内には米蔵がもう2棟あり、最大で9000俵が納められたそうです。

 

奥の蔵では金木と太宰治をモチーフにしたショートムービーが放映されていました。

(クーラーが効いていて天国だったw)

 

 

広間を戻り、階段の奥へ進みます。

 

店(金融業店舗)

 

津島家は金木銀行も営み財を成しました。

 

その店舗が主屋に連結しています。

 

壁の色がTHE洋館。

 

窓の上の欄間の鏝絵も見事です。

 

和室

 

その奥に和室。

 

米が産業のドル箱だった時代、米と土地で莫大な富を築いた津島家。

 

そんな富豪の環境で生まれ育った太宰治。

 

それゆえの苦悩が作品に大きく影響をもたらしたのでしょう。

 

次回、2階の風景を送ります。

 

続く。