北原白秋。

 

明治〜昭和初期の詩人として余りにも有名ですが、その生家がここ柳川にあります。

 

<旅の行程>

1日目:福岡→太宰府→二日市温泉

2日目:久留米→筑後吉井

3日目:筑後吉井→うきは→八女→柳川

4日目:柳川→八女→久留米

 

柳川散策、北原白秋ゆかりの史跡から。

 

◆北原白秋生家・白秋記念館◆

(福岡県指定史跡)

*入館料¥600(旧戸島家住宅と共通)

 

明治18年(1885)に柳川で生まれた北原白秋が上京するまでの19年間を過ごした生家。

 

北原家は酒造業を営んできた家柄。

 

茶の間

 

明治34年(1901)の大火で多くが焼失しますが、昭和44年(1969)に復元、一般公開に至ります。

 

 

酒造業時代の道具も展示中。

 

土間には井戸も。

 

 

茶の間の奥から。

 

早稲田大学に進学した北原白秋はその号を"射水"と称し、蘇水・牧水と共に"早稲田の三水"と呼ばれ、新進詩人として注目を集めます。

 

父の部屋

 

茶の間の奥の隅から入る主の部屋。

 

お座敷

 

庭園を望む座敷には見事なさげもん。

(けど、床の間も見たかった)

 

屋敷の裏手に進みます。

 

北原白秋の書斎

 

元は北原家の隠居部屋でしたが、白秋は子供時代からここで勉強をしていたそうです。

 

 

復元だからか、意外にも壁が桃色。

 

 

部屋の脇から水路に出られます。

 

往時はここで洗い物をしたのでしょうか。

 

水路を渡った先には資料館があります。

 

白秋記念館(歴史民俗資料館)

*内部撮影禁止

 

館内には白秋の軌跡を辿る資料や柳川の民俗資料が展示されています。

 

詩人として栄華を極めた白秋でしたが、大正期になると、生家が大火で焼失した後に破綻したり、不倫による姦通罪で拘留されたりと、波乱の日々を送ります。

 

丁度その頃、三浦半島の三崎に移り住み、名作「城ヶ島の雨」を発表します。

(県民にとってはお馴染みの歌碑がありますね)

 

 

北原家の代表銘柄だった"潮"の瓶も展示中。

 

大正期には小笠原や小岩、小田原と住まいを転々とし、昭和12年(1937)に阿佐ヶ谷の自宅にて糖尿病と肝臓病により57歳で亡くなります。

 

 

愛と放浪の詩人、北原白秋。

 

そのルーツに触れたひと時でした。

 

ところで、90年代の最盛期には年間20万人が来館していたのが、近年は数万人に落ち込み、コロナ禍で一気に存続の危機にあるそうです…

 

SNSやクラファンを上手く活用するとか、地域における郷土教育から力を入れたり、時代の流れに合わせて資金調達や広告のやり方を変える事も必要かも?

 

運営陣もほぼ高齢者でしょうから、若い人を積極的に登用するなり、行政レベルで外部のコンサルに委託するなりという策も必要でしょう。

 

北原

 

生家の並びに建つ北原家の分家。

 

吊るし雛"さげもん"の専門店です。

 

 

柳川に張り巡らされた水路。

 

大小合わせたその全長は940kmに至ります。

(福岡から横浜の距離が870km)

 

有明海に面した土地ゆえ、掘っても真水を得られない為、埋め立てて陸地化をして水路を掘り、水を流すという事が弥生時代から行われてきたそうです。

 

沖端水天宮

(主祭神:安徳天皇)

 

稲荷神社と祇園社が合祀されています。

 

沖端さげもんパーク

 

さげもんが屋外展示されています。

 

その先の水路はまさに干潟のよう。

 

 

次回、公開武家屋敷の記事を送ります。

 

続く。